8月5日 仙台市蒲生 「ふるさとを見守ってください」 お地蔵さんに石碑を奉納

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宮城野区蒲生地区の七北田川沿いに移設されたお地蔵さん。元住民たちでつくる「蒲生のまちづくりを考える会」が、来歴などを彫り込んだ石碑を奉納した。クレーンでつり上げられお地蔵さんの前の取り付けられた石碑は高さ1,1メートル、幅75センチ。蔵王の油石(あぶらいし)と呼ばれる、安山岩を磨き込んで川崎町の佐藤石材店が制作した。
この地蔵像は震災前は旧中野小学校脇にあった。海の方向を向いて座り海難事故がなく豊漁を祈るとともに、地域の安全や健康を祈ってきた。いつ造られたのかははっきりしないが、住民たちに親しまれていた大工さんの温顔をモデルにしたと言い伝えられてきた。住民たちは地蔵講をつくり、「蒲生のお地蔵さん」と親しんできた。

東日本大震災で蒲生地区は壊滅的な被害を受けるとともに、お地蔵さんも転々と移設を繰り返すことになった。
DSC_0713.JPGDSC_0705.JPG地区一帯が災害危険区域に指定されるとともに、工場などを誘致するための区画整理事業が行われている。10世帯弱の住民が居住する西側の地区を除けば、人の気配が消え広大な工業用地が拡がる。
お地蔵さんはいったん地区内の郡山石材店の敷地に移設された。3年間の仮安置を経て昨年の8月、現在地に移ってきた。震災前と同じように海の方向を向いて座るが、傍らには高さ7,2メートルの防潮堤(行政用語では河川堤防)がそそり立ち、海はおろか七北田川も見えない。道路をはさんで内陸側の用地にはバイオマス方式の火力発電所が建設される。

安住の地であるはずのこの地も、お地蔵さんには決して居心地のいいものではない。このままではお地蔵さんの存在も忘れられかねない。こんな想いから元住民たちが石碑をつくろうと思い立った。
DSC_0712.JPG写真:右が「蒲生のまちづくりを考える会」代表の笹谷由夫さん、左が事務局長に千葉栄一さん。
笹谷さんによると、敷地内に仮安置するなどお地蔵さんの保全に心を配ってきた郡山勝雄さんが、病気でこの2月に亡くなったことも石碑をつくろうと言う想いを後押ししたという。
石碑は黒い盤面に白い字で震災から蒲生地区とお地蔵さんがたどった足跡、そしてお地蔵さんはこの地区の平和と安寧を祈ることが刻まれている。
笹谷さんはこう話す。「このままでは蒲生の歴史や文化が忘れられるだけでなく、蒲生という地名そのものがなくなるのではと心配している。石碑はここに豊かな人々の暮らしがあったことを後世に伝えるよすがとなればと願っている」。

日々工業用地に姿を変えていく蒲生地区。元住民たちは暮らしのこん跡を留めるため、防潮堤に銘板を取り付ける事業に建設事業者の協力を求めていくことにしている。(了)
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