2月14日 仙台市 津波だけでない 内陸部の「在宅被災者」にも届かない公的支援

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「♪ 時が過ぎて行き 人が消えて行く  夢が滲む(にじむ)とき 闇を見上げる  時の流れ はかなくあなたを 運んで行く 夢の世界へと ♬♬」
布施明が歌うバラード「慟哭」の一節である。
この日訪ねた菅澤啓子さん(66)は、この歌が今の自分の気持ちを表していると言う。パソコンに取り込んだこの曲をよく聞く。かつて「文藝東北」という文芸誌の同人で歴史小説や、エッセイを投稿した。自ら「文学少女だった」という菅澤さん。その面影が漂う。

菅澤さんの住まいは仙台市民なら誰もが知る、巨大な観音像に間近い丘陵の上。昭和40年代に開発された中山団地の一角にある。在宅被災者支援の活動を続ける石巻市の一般社団法人「チーム王冠」代表の伊藤健哉さんの案内で足を運んだ。勿論、津波の被害を受けた海岸部からは遠い。しかし、菅澤さんの語る震災後の足取りは冒頭のバラードの通り平坦なものではなかった。

震災当時、菅澤さんは仙台市交通局の外郭会社、仙台市交通振興公社の社員だった。あの日、菅澤さんは地下鉄南北線の北のターミナル、泉中央駅の窓口で定期券発売の業務中に激しい揺れに見舞われた。職場は地下一階。強烈な揺れで倒れたが、詳しい記憶は一部飛んでいるという。
地上に逃れ、避難した大量の乗客の対応や、会社の指示で職場に戻って散乱した窓口の現金を回収するなど混乱の数時間を過ごした。


ようやく帰宅していいとの指示が出た。地下鉄やバスはすべて途絶。直線距離でおよそ6キロの自宅に徒歩で向かった。
離婚後女手ひとつで2人の娘さんを育てていたが、自立したので一人暮らしだった。
「自宅がつぶれずに建っているの見てほっとした」、地下鉄施設の大きな被害を見ていた菅澤さんは一瞬こう思った。
しかし、それは見かけだけ。建物の被害は予想以上に大きかった。
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写真上:2階はいまだに梁(はり)がずれたままだ。下;柱は数か所、亀裂が入ったまま。
築37年(当時)の二階建ての建物は、土台のない南側の縁側が沈み込み全体が傾いていた。柱のあちこちにひびが入り、屋根も大きく壊れていた。

4か月後の仙台市の調査で判定は「半壊」だった。たまたま縁側の応急修理に来ていた大工さんが「この家は見かけ以上に被害は大きい」と異を唱えたが、市の担当者は「津波の被害に比べればそうは言えない」と取り合わない。判定は覆らなかった。

安全に住むためにはまず傾きを直して縁側を撤去した。破損した屋根をふき替え、一人暮らしに便利なようにキッチンを居間に移設した。とりあえず暮らせるよう最低限の修復にとどめ、2階までは手を回らなかった。それでも費用は800万円かかった。
菅澤さんが利用できた公的支援はわずかに応急修理制度の52万円と、仙台市が配布した義援金の70万円だけだった。「大規模半壊」の判定だと最大限150万円、「全壊」だと最大限300万円利用できる公的支援の対象とはならなかった。

追い打ちをかける事態が待っていた。震災の翌年、2012年3月に菅澤さんは退職年齢の60歳を迎える。しかし、多額の修復費用もあり職場とは雇用延長の約束をとりかわしていた。ところが、かねてから抱えていたうつ病の症状が震災後進んだという。
2012年7月、菅澤さんは25年近く勤めた職場を退職せざるをえなかった。収入の途は絶たれた。

冒頭の写真で菅澤さんが手にしているのは「わだち愛(うつ)くし 特急仙台空港バス50年の記憶」と題したグラビアの冊子。JR空港線の開業で姿を消した直通バスの歴史をつづったものだ。菅澤さんが代表を務めていた「日本バス友の会・仙台」が刊行した。
これから増える外国人の利用客に備えて、英語の案内マニュアルを社内で提案したこともある。仕事に誇りを感じていた菅澤さんには、意に反して退職願いにハンを押さざるをえなかったことが納得できない。

800万円は退職金や、個人年金、それに老後の備えを取り崩してまかなった。障害者年金を含め、月11万円程度の年金では暮らすのがやっと。修理できていない二階なども心配だが、老後の備えが心許ないのが一番の気掛かりだという。

津波の被害をうけたものの、行政が用意した避難所、災害公営住宅や集団移転という”復興”プログラムに乗らなかった「在宅被災者」には、公的支援が届いていないことをこれまで何例か見てきた。菅澤さんのように地震の被害にあったものの、公的支援から見放されている方がいらっしゃるのは驚きだった。
こうしたケースは特殊なのだろうか。
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菅澤さんの近所だけでも内科クリニックなど3棟が「全壊」の被害を受けた。一般的に丘陵地では頂上に近いほど揺れが大きくなる。青葉山に点在する東北大学のキャンパスでは、頂上に近い工学部の研究棟がもっとも被害が大きかった。
宮城県内で自宅修復に応急修理制度を利用した被災者はおよそ6万世帯にのぼる。石巻市が先ごろ行った調査では、こうした世帯のうち58パーセント程度が「修繕したい」と考えているという。資金不足から自宅の修復が十分しきれていない被災者はかなりの数に上ると考えられる。内陸部の被災者も少なからずいると想定するのが自然である。
「震災からまもなく8年。復興が進んだとして行政は次々に担当セクションを閉じていくが、私たちには理解できない」菅澤さんはこう嘆く。
来年に迫ったオリンピックの開・閉会式の費用を当初より40億円増の130億円にする。この日、こんなニュースが伝わった。この五輪、”復興”の名を冠して行われる。(了)

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