9月17日  大川小・惨事の語り部~「語り継ぐとは?」問いつつ 

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子どもたち74人、教師10人が犠牲になった大川小学校の惨事は、関連死をふくめ2万人余が亡くなった東日本大震災のなかでも、学校管理下で起きた唯一、最大規模の事件である。子どもたちの遺族を中心にした「大川伝承の会」では、あの日学校では何があったのかを伝えるための「語り部ガイド」を続けている。去年3月以来17回目、連休を利用して訪れた人など50人余が耳を傾けた

地震が発生したのが午後2時46分。まもなく子どもたちは先生の指示で校庭に出て整列した。寒い日だった。余震が絶え間なく襲ってきた。泣き出したり、おもらしする子どももいたという。先生たちが焚火をしようとしうたが、火は付かなかったという。
心配で学校に来た地域の人や、子どもたちの中には「シイタケ栽培の実習で登りなれている裏山に逃げよう」との声があったが、なぜか動かなかった。
市の広報車が「津波が来てる避難しろ」と呼びかけて通ったのをきっかけに、先生の指示で子どもたちは動き出した。津波が襲来する1分前のことだった。しかも、向かった先は北上川沿いの三角地帯。津波に向かってだった。

共同代表の佐藤敏郎さん(55)は、当時6年生の長女を亡くした。当日は進学する中学校の制服ができる日。一度も服に手を通すことはなかった。
震災当時、佐藤さんは女川中の教員だった。その後早期退職してNPO活動などを続けている。
佐藤さんは言う。「同じ教員だったので分かる。亡くなった先生方も子どもの命を守ろうという想いを持たない人は誰一人いなかったはずだ。それが、なぜ守れなかったのか。未来への教訓として伝えるためには、何としても真実を知りたい」。
地震発生から51分間、なぜ校庭にとどまったのかいまだに真実は明らかになっていなし。

やはり、当時6年生の長女を亡くした、共同代表の鈴木典行さん(53)がマイクを握った。
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写真上;鈴木典行さん。下:只野哲也さん(19)。当時5年生で、奇跡的に助かった4人の一人。
旧校舎脇の掲示板には、震災の翌日の校庭の模様を写した写真が貼られている。
鈴木さんは震災の当日、舟を使って学校までたどりつき娘さんの名前を大声で呼び、探したがどうしようもなかったという。ところが、その時目にした校庭の様子は写真とは違っていた。
「一面海のようになっていたが、大量のがれきや車などが折り重ねっていた。翌日の写真にはそれがほとんど見られない。津波は第一波だけでなく、その後も夜間に何度も押し寄せていた。繰り返し押し寄せた津波が押し流したと考えられる。警報が解除されるまでは危険。”逃げる”の三文字を決して忘れてはならない」。

「語り部ガイド」を取材するのは今回で3回目。このように災害への備えを経験をもとに強調するのは、これまでにあまりなかったことだ。

当時、当時5年生で大学1年の只野哲也さん(19)は、いまや有力なガイドのメンバーの一人。三角地帯に向け歩いていると、民家の屋根を越えて煙りのようなものが上がった。あわてて引き返し、裏山へ登ろうとしている途中で津波が背中から襲ってきて気を失った。
只野さんはこう証言した。「気が付いたら斜面に打ち上げられ助かった。大川小ではヘルメットの着用を義務付けられていた。これがなかったら命はなかったと思う。ともに助かった小学生とともに、市役所の職員たちと合流できた。時折雪の降る寒い夜で焚火がありがたかった。スーパーの店長が持ってきてくれたお菓子など分け合って食べた」。

裏山へ登るのは難しいのかどうか、参加者全員が体験した。幼児でもかんたんに登れる。シイタケ栽培の実習地に通じるところに、土留めのためのコンクリートの敷地が打ってある。震災前からあった。津波到達点より数メートル高い。
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写真;裏山のコンクリートの敷地から見た大川小学校。遠くに北上川が白く光っている。
あっけなく登れることが分かれば、なぜこの方法を取らなかったが改めて疑問となる。参加者から様々な疑問が寄せられた。

「当時の校長・柏葉輝幸先生は年休を取っていたそうだが、その後はどうしたのか?」
佐藤さんらが綿密な調査で判明したことを明かした。
元校長が学校に来たのは震災から6日後だった。避難所で他の人間から「貴方は学校に行かなくていいのか」と問われて初めてやって来たという。

「ただ一人助かった50歳台の教務主任の男性教員が様々なことを証言しているのでは?」
この点についても驚くべきことが明かされた。
震災のほぼ1か月後に開かれた説明会のこの男性教員は出席した。
「斜面に逃げた際、倒木2本に腕と肩をはさまれた。津波をかぶってもうだめかと思ったが、木が軽くなり抜けられた」と証言したという。しかし、その直後教員と行き会った住民たちは「濡れていなかった」。と証言する。
さらに、この教員は「裏山では立ち木がパキパキ倒れた」とも言っているが、裏山で倒れた木はなかった。

佐藤共同代表は、石巻市教委が考えたストーリーに沿って言わされているのではと推測する。そして,こう言う。「この教員が一番悩んでいるのかも知れない。勇気を出して真実を語って欲しい」。
元教務主任が遺族の前に姿を現したのはこれが最後。病気を理由に休職しており、裁判でも出廷しなかった。

石巻市教委は只野さんたち、奇跡的に助かった4人からも聞き取り調査をした。しかし、「子どもの発言で信用性に疑問」、との理由で証言を採用していない。

救われたはずの74人の子どもたちの命ははなぜ奪われたのか。遺族のもっとも知りたい真実に迫ろうという姿勢はみじんもない。
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語り継ぐことの意義を改めて佐藤敏郎さんに聞いた。
「あの日のこと・あの日までのこと・あの日からのこと、この3つを語り継いぐことが未来へ繋がる。しかし、あの日のことだけでもまだまだ闇のなか。「未来を拓く」という校歌を歌っていた、子どもたちの想いの応えるためにも努力を続けたい」。

大川小学校の校歌は「風かおる北上川の 青い空、ふるさとの空」と歌い出し、「心に太陽かがやかせ われらこそあたらしい 未来を拓く」、こんな歌詞で閉じる。

子どもたちの無念に心がかき乱される。(了)



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