4月4日 大船渡市 ”気仙を拠点に 津波防災報道に半世紀” ジャーナリスト逝く

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ありし日の山川健さん。2011年4月15日、大船渡市の自宅庭、愛犬ナナちゃんと。
古巣、NHKの先輩記者、山川健さん(享年、82歳)の葬儀・ミサに参列した。ミサはカトリック大船渡教会でエドガル・ガクタン神父の司式で行われた。50人も入ればいっぱいの小さな会堂に80人ほどが参列。悲しみのなかにも心をこめて故人を天に送った。

山川さんは自らの記者生活を昨年出版した「三陸つなみ いまむかし」の中でこう書いている。
『私の半世紀の記者生活はチリ地震津波に始まり、東日本大震災の取材で終わった。これが私の地方記者暮らしだった』
1960年(昭和35)5月20日の早朝、地球の裏側で起きた大地震にともなう津波が日本列島を襲った。193人が犠牲になり、大船渡市でも53人が亡くなった。山川さんは記者としての研修を受けた直後だった。著書の中でこう振り返る。

『ふたたび沿岸を歩きまわっている途中、黒い沼のようになった水田の中から、泥まみれの遺体が収容される現場を見てしまった。足がすくんだ。思わずその場から逃げるように、近くの寺の本堂に駆け込んだ。見たばかりの遺体収容の様子が、目に焼きついたように消えない。本堂にも遺体は次々に運ばれてきた』

それから50年余、山川さんは一度も転勤することなく、大船渡や釜石の報道室を拠点にして、主として気仙地方をを取材エリアに記者生活を続けてきた。転勤が付きまとうNHKでは異例のことだった。三陸の宿命とも言われる津波被害の歴史や、防災が常に取材テーマの中心にあった。日本地震学会の会員になり、最新の研究成果にいつも目を通す一方、現場に密着した山川さんの取材蓄積は研究者には貴重な情報源でもあった。

この日の葬儀では学術面での貢献を称える、東北大学の災害国際研究所所長の今村文彦教授の長文の弔辞が読み上げられた。

2011年3月11日、山川さんは嘱託契約記者の退職が月末に迫っていた。主な取材用機器は後任者に引き継いでいた。そこに強烈な揺れが来た。やむなく、家庭用のビデオカメラをつかんでマイカーで取材に走った。取材エリアだった陸前高田まで足を伸ばし惨状を取材した。記者としての定年は1か月延長された。

現役当時、同じように防災報道に携わった私は先輩記者に是非聞きたいことがあった。ガソリンの事情が好転した4月15日、大船渡報道室に山川記者を訪ねた。震災からおよそ1か月後のことだった。写真はいずれも其の時のもの。
『”警報が出たらまず避難”と訴え続けてきた。しかし、2万人近い犠牲者。私たちの防災報道は人々の心に届いていなかったのだろうか?』私はこう尋ねた。
先輩記者はしばらく考えてから答えた。
『確かに反射的に”逃げる”行動をとらなかった住民もいた。ただ、今回の震災は住人が過去の経験から学んだ”ここなら大丈夫”という心づもりをはるかに越えた。こうした中で、住民自らが自主防災組織をつくり、訓練を重ね全員無事だった例がいくつかある。これは私たちの防災報道が種子をまいたと言っていい』

被災地の惨状を目にするたびに、悔悟の想いを覚えていた胸の内に明るい灯がともった。
思えば、すでに退職して数年経っていた私を、震災・被災地取材に向かうよう背中を押してくれたのは、山川さんのこの言葉だった。ミサの祭壇に飾られた先輩記者の写真を見ながら、このことに想い当たった。
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大船渡報道室の山川健さん。被災直後の大船渡市。いずれも2011年4月15日。
洗礼名があり「イオアン・山川健」であることは初めて知った。ミサで神父が明かしたところでは、子どものころハリストス正教会で洗礼を受けた。「イオアン」はロシア語で「使徒ヨハネ」のこと。教会の信徒であり続けたが、日曜日のミサにはほとんど出なかったという。同じ大船渡教会信徒、奥さまの孝子さんは「あの人は仕事がなによりでしたから」と言う。

大船渡市長の弔辞(代読)、エドガル神父の説教はともに山川記者の取材活動を「気仙を愛する」心にあふれていたと称えた。さらに山川さんの取材活動は「公平な視点」に立っていたと奇しくも同じ言葉で賞讃した。

昭和40~50年代にかけ陸前高田市の広田湾で、「埋め立て・開発計画」を撤回させた住民や漁業者の運動が繰り拡げられた。
山川さんは著書の中で、この住民運動の歴史を共感をこめて振り返ったあと、こう結んだ。
『広田湾の豊かな漁場は巨大津波で壊滅的な被害を蒙りはしたが、漁民たちはこれからも浜の男たちの団結を見せて、破壊された港や漁場の復興に力を注いでくれるにちがいない。私はそのパワーを信じたい』

この部分を読んで、山川さんの人々への手放しの共感は何に由来するのだろうか?不思議だった。ミサに参列して想い当たった。
山川さんの取材の根底には動かぬ「軸」があった。信仰という「軸」が。
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帰り道に目にした大船渡湾は、4年前の惨事がなかったかのように青く輝いていた。

腎不全が悪化して山川さんは去年の暮、県立大船渡病院に入院した。しかし、「透析」を本人が拒絶。自宅へ帰った。再び症状が進行して3月21日に再入院。こん睡状態が続いた。病床の両脇で奥さまとエドガル神父が祈りを捧げる中、4月1日の早朝に天に召された。
奥さまの孝子さんが言う。
『いまにして思えば、本人は最期だと悟っていたのでは。説得しても透析を受けることに決して首を振らなかった』

壮絶な最期に言葉を失う。心からご冥福を祈るともに、気仙という地域に腰をすえ、信念を曲げることなくゆるがぬ記者活動を全うした人生に深い敬意を払いたい。
愛犬、ナナちゃんは震災の5か月後に亡くなった。山川さん、ナナちゃんをつれて天国で取材活動をしている。こう考えよう。(了)

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