7月30日 Intermezzo ”時代を懸命に生きるとは?”~「妻と飛んだ特攻兵」と「風立ちぬ」

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「妻と飛んだ特攻兵」(角川書店)という本にひかれた。ノンフィクション作家の豊田正義氏の労作。”夫婦で特攻”に驚かされたのは勿論だが、書評で特攻兵の出身地が青森県むつ市と知って、二度驚ろいた。むつ市は筆者の故郷だが、この事実は全く聞いたこともなかった。読み応えのある厚さだったが、2日ほどで読み切った。
2人は谷藤徹夫(行年24才)と、妻の朝子(行年26才)。むつ市の遠縁を訪ね、「元陸軍少尉の妻は昭和20年8月19日、満州大虎山飛行場より、夫の操縦する飛行機に密かに搭乗し、敵ソ連軍戦車隊に突入自爆しました。」
こう記された元飛行場隊長の証明書があることを知る。豊田のルポはここから始まる。

谷藤徹夫は野辺地中学を経て、中央大学に進み、国家主義の学生運動に加わる”右翼青年”だった。戦時の繰り上げ卒業と同時に徴兵検査を受けたが、「第二乙種」で不合格だった。軍部はミッドウエー海戦の大敗北などから、航空兵力の増強に転じる。失意の中会社務めをしていた谷藤は、航空兵の促成を目的に始まった陸軍特別操縦見習い士官(特操)に応募して、首尾よく合格する。
昭和18年10月、福岡県の太刀洗(たちあらい)陸軍飛行学校で、1年間の速成訓練を受ける。この間、谷藤は学校にほど近い福岡県城島町の親戚の家で、朝子と出会った。血のつながらない従姉妹だった。2人は連れだってはるばるむつ市まで帰り、ささやかな結婚式を挙げる。そして、谷藤は19年10月陸軍少尉として、満州に出征する、フィルムの早回しのような人生が展開した。

この10月、軍部はレイテ沖海戦で初めて特攻攻撃を命じた。250キロ爆弾を積んだ戦闘機を操縦して、青年たちが次々敵艦船に突入させられた。この海戦も大敗北、戦況を挽回することは無理だった。しかし、陸海軍はこの後競って、特攻攻撃を拡大していく。狂気の作戦を立案した、軍の上層部は戦後もほとんど反省の言葉を語ることはなかった。
20年7月、飛行教官をしていた谷藤は、むつで過ごしていた朝子を満州に呼び寄せた。米軍の本土空襲が激しくなるなか、朝子は汽車で下関まで、さらに連絡船で釜山まで、空襲で運航停止になる数日前だった。再会した2人はわずか1か月の新婚生活を過ごすことになる。満州の飛行隊からも次々に特攻隊が選抜されていた。

8月9日、ソ連の参戦。関東軍はいち早く撤退し、満州各地で逃げ遅れた居留民の悲劇が起った。そして、8月15日、敗戦。19日、大虎山飛行場に残っていた11機の練習機は、ソ連軍に機体を引き渡すため飛び立つことになっていた。しかし、谷藤はじめ11人の隊員は血判状を作り、密かにソ連戦車隊に特攻攻撃することを申し合わせていた。
人々の見送りを受けて飛び立った谷藤機の後部座席には、白いワンピースを翻した朝子の姿があった。もう1機にも「スミ子」という若い女性が乗っていた。戦車隊にどの程度の損害を与えたのか、戦果は分からない。

この事実は元軍関係者によって黙殺されてきた。豊田によると、命令に反して出撃した上、女性をのせたには重大な軍紀違反だというのだ。戦没者と認定されず、遺族年金も支給されなかった。元隊長らの努力で名誉回復されたのは、敗戦から12年目だった。遺族も語ることを避けてきたが、ようやく市役所で死亡届けが受けつけられた。妻・朝子の死亡届けは冒頭の証明書が決め手になったという。
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宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観た。実在した零戦の設計者・堀越二郎と、堀辰雄の「風立ちぬ」のヒロインと同名の菜穂子が登場する。二郎は”風のように飛ぶ”戦闘機を作ることに夢をかける。一方、関東大震災のさなかに出会った、菜穂子との恋をつらぬく。
様々な試練の末、二郎は零戦の設計にこぎつける。しかし、結核に侵された菜穂子との恋ははかない。先が決して長くないことを感じながらも愛し合う、2人の姿は美しく、悲しい。この人の自然描写の美しさは定評がある。今度は人間ドラマの美しさ。アニメであることを一瞬忘れた。生身の人間が演じているような錯覚にとらわれた。ヴェネチア映画祭のコンペテイション部門にノミネートされたのも頷ける。

このアニメは戦争を美化しているとの批判が一部にあるという。確かに、後年多くの若者が、”風のように飛ぶ”零戦を駆って特攻攻撃に追いやられた。二郎は夢の中で、イタリアの設計家・カブローニと度々、多くの人々を空の旅にいざなう旅客機について語り合っていた。夢は軍事技術ではなく、人々の幸せのためにあることを語りあっていた。しかし、優秀な技術は時として、世界を滅ぼすものにもなりうるというのが歴史の冷厳な事実だ。
サバの細いホネをヒントに考え抜いた二郎の生きざまは美しい。彼は、そして菜穂子はあの時代を懸命に生きた。問題はそれを捻じ曲げ、悪魔の道具として使うよう仕向けた人々が存在したということだ。そこまでを知ることが、歴史を知ることなのだ。そうした人々を正しく断罪することで、人間の歴史は前へ進む。

敗戦の4日後、練習機で特攻に飛び立った、谷藤徹夫・朝子夫妻。大した戦果もなかったはずだ。こう、のちの世の人々が言うのは容易かもしれない。しかし、2人は充分にあの時代を懸命に生きていた。懸命に生きた人々を破滅に追いやった勢力の存在を知らなければならない。
はからずも、同時に読み、観た谷藤徹夫・朝子、堀越二郎・菜穂子。時代を懸命に生きた2つのカップルはかなしいほどに、美しかった。
そして、歴史の半面しか見ず「国に殉じた人々に尊崇の念を~」とうそぶく政治家の姿を恥ずかしく思う。
時代を、つまりは私たちが今の時代を懸命に生きるとは? 深く考えさせられた。(了)

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    Excerpt: 「国敗れて山河なし  生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻: 震災日誌 in 仙台.. Weblog: TEL QUEL JAPON racked: 2013-08-11 13:30