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zoom RSS 3月4日 石巻市・大川小”明かされぬ真実”につのる遺族の哀しみ・怒り

<<   作成日時 : 2018/03/05 09:08   >>

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石巻市大川小学校跡地に足を運んだ。74人の子どもたち、10人の先生、これほど多くの命がなぜ奪われたのか。ここに立つたびに答えのない疑問が浮かび胸を締め付けられた。
子どもたちの遺族を中心に作られた「大川伝承の会」の語り部ガイドに参加するためだった。望みつつ初めての参加だった。理由は後で述べる。
報道陣を含め60人余りの参加者に、あの日の出来事が語られた。3・11が近づくと報道陣の姿が増えるのは、ここ何年か経験済み。それ以外の時期にも足を運ぶべきだがとりあえずおいておこう。
会の共同代表。佐藤敏郎さん(54)と、鈴木典行さん(52)が中心にガイドをした。ともに当時6年生の娘さんを亡くしている。
珍しい半円形の校舎だった大川小学校。高学年の教室に面した中庭が子どもたちには人気だったという。
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写真下;左が永沼悠斗さん(24)。
卒業生で大学生の永沼さん。教室から中庭の出口には一輪車が置いてあったという。「休み所間の度に、27人の同級生全員が一輪車を乗りこなしていた。一番気に入った場所を描く卒業制作の絵には中庭を選んだ」。永沼さんが懐かしんで話す。
コンクリートがめくれた校舎だが、一瞬子どもたちの歓声が耳に響いた。

大震災の発生が14時46分。経験したことのない揺れだった。子どもたちは先生の指示で校庭に並んだ。1・2年生が真ん中。高学年が両脇だった。大津波警報が出される。市の広報車が「避難」を呼び掛ける。しかし、子どもたちが動き出したのは50分後。しかも、北上川沿いの三角地帯へ向かってだった。津波の方向へ向かったのだ。

裏山へ逃れば助かったのに、何故このような判断をしたのか。この間、先生たちはどんな議論をしていたのか。真実が一向に明らかにされないことに遺族の皆さんは不信と怒りを強める。
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写真;卒業生の只野哲也さん(18)、当時5年生、奇跡的に助かった4人のうちの一人。
子どもたちは狭い道路を通って歩き始めた。学校の周りのフェンスの通用口が狭かったため一列だった。しかも、その道路は先が行き止まりになっていた。共同代表の佐藤敏郎さんは「150メートル・1分間・一列の行進」と表現した。
15時37分、10メートルの津波が歩いてる子どもたちを襲った。

只野さんはこう証言した。
「民家の屋根を越えて煙のようなものが上がった。裏山に向かって引き返した。登ろうとしている途中で津波が背中から襲ってきて、気を失った。裏山に打ち上げられ奇跡的に助かった」。

裏山のふもとが悲劇の現場だった。34人の子どもたちが、押し寄せた土砂やがれきで山に押し付けられるように生き埋めになっていた。
佐藤さんが声を詰まらせながら語った。「13日の朝から保護者が捜索を始めた。子どもがいるのだからスコップも使えない。自分の子どもを自分の手で土の中から掘り出すという、つらい光景が相次いだ」。
74人の子どもたちのうち4人はいまだに行方が分からない。
間もなく7年。しかし、遺族の皆さんの哀しみや怒りが癒されることはない。

史上最大の学校管理下での災害というのに、真実が一向に明らかになっていないことが人々を苦しめる。午後の「勉強会」のテーマは「(真実を)阻む壁」だった。

○唯一生き残った教務主任の教諭は真実を証言すべき。 ○検証委員会は多くの証言を無視している。 などの疑問が出され、「時間・情報・手段があったにも関わらず、50分間とどまったのは何故か」が、依然として解き明かされていないという議論が交わされた。
「先生たちを断罪するのではない。”子どもたちの命を守る”という使命を持った人たちが、それを果たせず亡くなった。その無念を晴らすためにも真実を明らかにしなければならない」。皆さんの主張は明快だった。

メデイアへの不信も大きなテーマだった。複雑な事象について、メデイアは行政当局の背景説明をそのままキャリーし、場合によっては行政の見解を追認する役割を果たしてきたことを残念ながら認めざるをえない。防潮堤事業をめぐって何度かそうした光景を目にしてきた。
真実に迫ろうとする、徹底したファクトチェックを望みたい。河北新報社は遅まきながらそれを始めた。
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写真:壁画には「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」とう宮沢賢治の言葉が描かれている。
この問題に近づくのを躊躇していたのには理由がある。私自身が学校管理下の事故の関係者だったからである。1977年、当時住んでいた東京中野区で最愛の息子(当時小1)を登校中の事故で亡くした。スクールゾーンに違法に進入した清掃車にはねられた。行政、学校側の責任を問い提訴した。NHK社会部の記者だった。社会部記者の使命は「生命を守ること」と信じていた。わが息子すら守れなかったことに深く絶望した。

学校側、区教委は責任逃れに終始した。
高裁判決が不十分ながら行政の責任に言及したことで終結した。

当時の私の努力が十分ではなかったという想いが、大川小の問題に距離を取らせてきたのかも知れない。司法の場が真実に決して忠実でないことも思い知らされてきた。
だからこそ、真実を求める皆さんの想いに理解を深めたいと思う。(了)


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