震災日誌 in 仙台  

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zoom RSS 10月25日 七ヶ浜町 ”海とともにある町”を再確認〜町の歴史・文化探るツアー  

<<   作成日時 : 2016/10/28 23:00   >>

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写真;薬師堂(湊浜)を見学。
七ヶ浜町内を小型バスで巡る「歴史・観光探訪ツアー」に参加した。文化、観光資源を改めて見直し、震災からの地域再生に役立てようというものだ。多賀城・七ヶ浜商工会の主催、町内の商店主や議員など17人が参加した。私は形の上では呉服店の”従業員”ということで参加させてもらった。
町の南部湊浜に向かった。弁天神社や薬師堂がある。三間四方の薬師堂の奥には岩壁をくり抜いた岩窟があり、7体の薬師如来像が鎮座している。仁寿2年(852年)この地を訪れた慈覚大師・円仁が彫ったと伝えられる。
4体は風化が進み、原形を留めない。町内の歴史資料館にレプリカが展示されている。
呉服店の店主で郷土史にも詳しい稲妻公志(まさし)さんが案内役を務めた。
湊浜はこれ以外にも歴史的に重要な意味をもつ場所だ。ここはかつて仙台市内を流れ下る七北田川の河口だった。古代には各地から運ばれた資材が、冠川(かむりがわ)と呼ばれた七北田川の河口から内陸に運ばれたという。多賀城造営の資材はここ湊浜から内陸に運ばれたと稲妻さんは説明する。
中世史が専門の斉藤利男弘前大学教授はこう書く。
「(湊浜は)多賀城・岩切方面への海の玄関口となっていた。いわば”古代・中世の仙台港”ともいうべき港湾だった」。
七ヶ浜町湊浜はかつて海上交易の重要拠点だったのである。古代・中世を通じて東北地方の太平洋岸で最大の交易港と主張する人もいる。
終焉を迎えたのが寛文4年(1664年)から始まった河口の付け替え工事だ。仙台藩は七北田川の河口を北の蒲生地区に切り替えるとともに、塩釜湾から蒲生まで「舟入堀」、つまり貞山堀を掘削した。物流は塩釜から貞山堀を通って蒲生まで運ばれることになった。湊浜は河口をふさがれ役割を終えた。
今も残る弁天沼がかつての水運の名残を伝える。
一行は大木囲貝塚(だいぎがこいかいづか)に向かった。
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写真上;案内役の稲妻公志さん。写真下;大木囲貝塚、在来種の桜を見学。
大木囲貝塚は広さ2ヘクタールもある縄文時代の遺跡。歴史資料館があり、東日本の縄文土器の年代判定の基準ともなっている「大木式土器」の変遷などが展示されている。田村正樹学芸員から詳しい説明を受けたあと、広大な遺跡に自生する200本を越える桜を見学した。
桜はすべて在来種でソメイヨシノが1本もないのに驚かされる。ヤマザクラをはじめ。カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンの4種で、人工的に作りだされたソメイヨシノはゼロ。この謎について田村学芸員はこう説明した。

「七ヶ浜町や塩釜市では奈良時代以降、製塩がさかんに行われた。これは壺で海水を煮詰めて塩を取り出す製法で大量の燃料が必要。このため成長が他の樹種に比べて早い在来種のサクラが南方から導入されたのではないだろうか」。
実をつけないソメイヨシノと違って、在来種のサクラは実生で増える。うなづける説明だ。

仙台市などでは、このところ古地図を片手にした街歩きがちょっとしたブームになっている。「ブラタモリ」の影響だという人がいるが違うと思う。大震災の津波は暮らしの痕跡を押し流した。しかし、記憶を流し去ってはならない。未来を築くにはまず自らの足元を見つめ直そう。震災から5年余、人々の想いがそうした方向に向かっている。私はそう理解している。今回のツアーもこうした想いが出発点にある。

ほぼ半世紀前、歴史学徒を志した折りに読んだ本、フランスの歴史学者マルク・ブロックの「歴史のための弁明」を思い起こす。ナチスへのレジスタンスの中で倒れた泰斗はこう書いていた。
「坊やがこう尋ねた”パパ、歴史はなんのためになるの?”。こう答えた”歴史を学ぶのは明るい未来をつくるためだよ”」。
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写真;左側の山頂が「花淵城」跡。
中世には、花淵浜を見下ろす高台に城があった。ここから北に1キロ弱の高台には「吉田城」があった。至近距離に2つの城があったのは何故か。この疑問に稲妻さんはこう説明した。
「浜の沖には岩礁があり、舟には難所だった。北へ向かう舟、南に向かう舟に安全情報を与える代償として、2つの城がそれぞれ通行税のようなものを取っていたのではないか」。
学説は確定していないという。
七ヶ浜町は太平洋に突き出た半島の町。三方が海に面した東北地方では最も面積の狭い自治体だ。震災後、表浜の防潮堤問題などで取材に何度か足を運んだのが初めてこの地と関わるきっかけだった。震災で大きな被害を受けたが、平地が少なく、一部リゾート地の雰囲気も漂う土地柄に惹かれていた。
”海とともにある”のが土地柄の基層であることが改めて了解できたツアーだった。

他の地域とは異なる魅力を備えたこの地に、巨大防潮堤・、防災集団移転事業という単一色の復興は似合わない。土地柄にあった再生を目指す。5年余の歳月で被災地の人々がたどりついた想いを大切にしたい。(了)

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