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zoom RSS 9月12日〜1 山元町 ”暮らし再建が後回し!” 自力移転の被災者も”復興行政”を批判

<<   作成日時 : 2014/09/13 14:10   >>

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山元町の浜通り、笠野地区に住む砂金(いさご)政宏さん(53)を訪ねた。ボランテイア2人が手助けに来て、津波で壊れた1階居間の壁紙張りや、カーテンレールの取り付けに汗を流していた。山元町はこの一帯を早々と第1種の災害危険区域に指定した。住居の新築は」できない。しかし、自宅をリフォームして再び住み始める住民が増えている。
砂金さんは住民グループ「山元町震災復興・土曜日の会」の前代表。復興事業に住民の立場から提言したり、ワークショップを開くなどの活動を続けている。
2階建ての自宅は流されずに残ったが「全壊」の認定。しかし、津波に耐えた自宅は何としても修復したかった。
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写真は砂金政宏さんと、母親のカツ子さん。
1、000万円余の修繕費のあてはなかった。自力で再建することを決めた。ボランテイアの手も借りて、まず家の中にたまったがれきや泥をだした。元ヘルパーで大工仕事は素人。ホームセンターで工具を買い、分からないことは知り合いに相談しながらこつこつと家の修繕を続けた。解体した近くの家から譲り受けた家具もある。
3年がかりの作業で、修繕が必要なのは1階の1間だけになった。母親のカツ子さん(77)と弟(47)に続いて砂金さんもこの7月、見なし仮設住宅を引き払って自宅に引っ越した。震災前と同じ暮らしが戻った。

母親のカツ子さんは『長年住み慣れた自宅で身も心も休まる』と笑う。砂金さんを含めこの地区には18世帯が戻ってきて住んでいる。1年前に訪ねた時から4世帯増えた。近く、さらに2世帯が戻ってくるという。地域は賑わいを取り戻そうとしている。
問題は津波防護のため計画されている、県道のかさ上げだ。山元町は今の県道のルートを一部内陸側に変更した上、かさ上げし津波防護の第二線堤にする計画だ。ふるさとに住み始めた住民たちは、このままでは防護ラインの外側に取り残される。これまでも何回となくかさ上げ道路の変更を求めてきたが、行政側は首を縦にふらない。
先月も砂金さんら住民代表が町に計画見直しを申し入れた。これに対して「県道なので町が直接関わることができない」木で鼻をくくったような回答だった。

山元町は浜通りの広い区域を第1種から3種の災害危険区域に指定した。その上で、移転用地を3か所に限り住民に集団移転を促している。市街地を3か所に集約して、コンパクトシテイをつくろうというものだ。一連の経過で行政側が住民合意を充分に尽くしてきた形跡はない。「一方的」、「住民合意無視」の批判がつきまとってきた。
ここにきて、集団移転地の希望者が少なく、4〜5割の「空き」があることが明らかになった。住民合意無視の”復興行政”はほころび始めている。(詳しくは次項で紹介する)

5月に行われた町長選挙では、こうした復興のあり方が争点になった。現職の斉藤俊夫町長が194票の僅差でかろうじて逃げ切った。選挙公約で「住民との合意形成に努める」と明記した斉藤町長、住民合意軽視・無視の姿勢が改められたとはとても言えないようだ。

一方、砂金さんの家から100メートルほど海側にある、団体職員渡辺宏さん(56)のお宅。住所は花釜区になる。庭の草取りをする姿が見えた。『戻ってくる準備ですか?』と声をかけた。意外な答えが返ってきた。
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渡辺さんはこう言った。
ご覧の通り6人で暮らしていたこの家は修繕すれば住める。鉄骨づくりで外壁もきちんと残っているが、震災の年に内陸の柴田町で家を購入し、そちらで暮らしている。しかし、父親の吉昭(よしてる)さん(85)は『祖先から受け継いだ土地と家は絶対に売らない』という。ふるさとを懐かしむので、こうして月に2〜3回は母親を含め3人で自宅に来て草取りなどをしている。

できれば戻ってきたかったが、移転せざるをえなかった。この間の事情を渡辺さんが説明してくれた。
常磐線が既存ルートで仮復旧ということであれば、戻ることもありえた。ところが、山元町は早々と常磐線のルートを内陸部に移設することを打ち出した。開通予定は2017年春。仙台市へ通学する大学生と高校生がいたので、移転を選択せざるをえなかった。同じ事情で自力移転した住民をたくさん知っている。
山元町は仙台の通勤圏内だ。常磐線の早期復旧を望む声は大きかったが、行政は押し切った。
震災前に1万6、000人を数えた山元町の人口は、今年の2月現在で1万3、000人。20パーセント余減った。住民票を残したまま転出した住民も多いので、実際には1万人ちょっとではないかと指摘する声もある。
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『私も流出した住民だが』と言いながら、渡辺さんは付け加えた。
明日くるかもしれないゲリラ豪雨に比べ、津波は数十年、数百年に一度。まず被災した住民の暮らしの再建することが必要だった。住民の足確保もその一つ。防潮堤の建設や、まちづくりなどはその後でよく議論しながらすすめるべきもので、今の復興行政は順序を間違えている。こう批判した。

車の運転ができない父親の渡辺吉昭さんは、時折15キロメートルほど離れた柴田町からここまで自転車でやって来るという。85歳とは思えない。車で危ないのではと言ったら、元気な答えが返ってきた。
『朝6時前だと車がほとんど通らないので、自転車専用道。こうしてふるさとの空気を吸って、土いじりをするとすっきりする。私の健康法だ』(了)

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