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zoom RSS 9月5日  石巻市桃浦  浜を残したい! 苦渋の選択・会社設立 〜 なぜ特区か?の疑問も

<<   作成日時 : 2012/09/06 15:16   >>

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「特区問題」の舞台、石巻市の桃浦(もものうら)に足を運んだ。宮城県の村井嘉浩知事が、民間企業にも漁業権を開放する水産業復興特区を年内にも申請する意向を表明した。対象がここ桃浦地区の漁業者15人が設立した桃浦カキ生産者合同会社である。
石巻市の中心部からおよそ20分、牡鹿半島を南に車を走らせる。峠をいくつか越えたところで、エメラルドグリーンの桃浦の浜が姿をあらわす。海はおだやかに光っている。桃源郷という言葉が浮かぶが、津波の爪痕が想いを現実に引き戻す。
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上の写真1枚目は昭和50年代の桃浦の様子を示す航空写真だ。合同会社の大山勝幸社長の提供。湾口を防波堤が守っていたが、ほとんどが津波で破壊され、まだ残骸が湾内にある。浜に建っていた60数戸の住宅は、山に近い4戸を残して流された。6人が犠牲になった。
2枚目は甲田強さん宅。3枚目は甲田さん。

流されずに残った住宅には、3世帯が住んでいた。このうち、甲田強(こうだつよし)さん(83)を訪ねた。10数メートルの高台にあるこの家も1階の胸の高さまで浸水した。一階をリフォームして奥さんと2人で住んでいる。
長年、遠洋漁業の船に乗り組んだあと、宮城県の漁業調査船に乗っていた元公務員である。震災後、地域に残っている数少ない一人として、行政区長へ再登板を依頼された。桃浦の歴史を話してくれた。

桃浦の漁師はかつてはほとんどが遠洋漁業に従事していた。カツオ、マグロなどだ。昭和40年代の後半頃から、カキ養殖に転換した。高齢化が進み、近場で作業できる養殖漁業を選んだ。仙台湾に面している桃浦は、暖かい海流が豊富な養分を運んでくるため良質のカキを産出した。最盛時にはカキ養殖業者は40人を数えた。
しかし、高齢化に加え、後継者不足に悩まされ続けた。牡鹿半島で一番、石巻の市街地に近いことがかえってわざわいした。若い人たちが次々に地域を離れていった。震災前、カキ養殖業者は19人と半減していた。

震災後は人の気配のない浜になってしまったと嘆く。地区内に仮設住宅を建てられなかったのが大きい。住民は地区内にと希望していた。ところが、高台はすべて杉林で、造成が難しい。そうこうしているうちに、早く完成した石巻の市街地の仮設住宅に入居する住民が出始めた。140人ほどいた住民は、あっという間に散り散りになってしまった。
このままでは、桃浦の浜が消えてしまう。浜の再生に向け合同会社に大いに期待していると、甲田さんは強調した。

桃浦カキ生産者合同会社の大山勝幸さん(65)を訪ねた。車でさらに南へ20分ほど、給分浜(きゅうぶんはま)の仮設住宅で暮す。この日は午前中、仲間と浜でカキ棚の手入れをしたあと帰宅し、仮設住宅で取材に応じてくれた。
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1枚目の写真は大山さん。2枚目は桃浦漁港の漁船。3月11日、沖出しした5隻が助かった。震災後、もう1隻を長崎県から中古船を買ってきた。3枚目、岸壁近くで工事が進むのは、宮城県漁協石巻支所が発注したカキ共同処理場。カキむき作業などに使われる。

奥さんと娘さんは仙台市で暮らす。大山さん自身、桃浦へ車で通う。会社設立に加わった他のメンバーも居住地はばらばらで、全員が当面は通勤漁業を続けることになる。19人いたカキ業者のうち、4人は震災を機に漁業をやめた。残る15人がカキ養殖を続けることになった。
しかし、養殖施設の多くを流され、浜には誰も住んでいない。ないない尽くしの状態で浜を再生するには、民間企業の力を借りる他ない。昨年6月に村井知事が打ち出した、特区構想にいち早く賛成の手を挙げた。

会社を立ち上げる方向で毎月数回集まって話し合いをしてきた。また、宮城県の水産部とも随時相談をしてきた。ただ、皆ばらばらに住んでいることもあって、意思統一がなかなかできなかったという。
15人がらようやく同意のハンコをついたのが、先月29日のことだった。翌30日に会社設立の手続きが済んだ。31日には村井知事が激励に訪れ、その足で県漁協に申し入れに行った。スピードぶりには正直言って驚いたが、
ようやくスタート台に立てた。何といっても宮城県の全面的な支援は心強い。大山さんはこう話す。

去年の秋に吊るしたカキ棚、18台は年明けには水揚げできる見込みだ。なるべく早く、フル生産のカキ棚120台の体制に戻したい。このあと、卸会社の仙台水産が経営参加し6次化を目指すことになるが、加工、販売のノウハウは私たちは持っていない。仙台水産に任せるしかない。

不安はあると言う。肝心の会社の事務所がまだできてない。桃浦地区の裏手の杉林を造成しての高台移転も計画されているが、移転事業に参加して地元に戻るのは10人程度にとどまりそうだ。従って、会社のかなりのメンバーが通勤漁業を続けざるをえない。
15人の平均年齢は60歳を越える。高齢化の不安はつきまとう。何年か後には私たちが退いて、世代交代することになる。こう大山さんは話した。

Q;しかし、住民の多くが地元に戻る見こみがない中で、若い人たちが会社を引き継ぐというのは難しいのでは?
  皆さんは現に漁業権を持っているのだから、あえて特区制度を導入しなくても、今の制度で生産活動を続けられ  るのでは?
大山さん;会社が社員を新規募集をかければ、社員の補充はできると思う。高齢化、後継者難が続くなかで、会社  設立を選択した理由はそこにもある。
  民間企業の力を借りるには特区でなければならない。今回は知事も桃浦に限定して特区を導入すると言ってい  る。沿岸漁場が民間企業の意のままになるという心配はないと思う。

三陸沿岸の浜は、浜ごとに事情が違う。カキ養殖に適している浜もあれば、岬を一つ越すと波が荒いので別の魚種がいいという浜もある。経営形態も家族経営が充分成立する所もあれば、協業を図った方がいいところもある。
桃浦が、高齢化、後継者難に悩むなかで、何とか浜を再生したいとの想いで会社設立の途を選択したという事情は理解できた。しかし、後継者難が容易に解決しないとすれば、設立した会社の主導権を、この先地元に関わりの薄い企業が握るという事態は充分に予想される。また、浜の再生は現行制度で充分できるはずだ。特区にこだわるのは何故なのか、疑問は依然として残る。

漁業権、つまり養殖海面の運用、割り振りは浜ごとに長年積み重ねられたルールがある。養殖漁業をやめる漁師が出ると、その海面を残る組合員が当分に引き継ぐという浜もある。桃浦は1業者、カキ棚6台というルールを守り続けているという。つまり、誰かが廃業してもその海面を引き継ぐのではなく、”空き”にする。密殖でカキの品質が落ちるのを防いできた。
海は宝物。漁師がよく口にする言葉だ。宝物というのにふさわしい、桃浦の浜である。これを、どうしたら未来の世代
に引き継げるのかを、漁業者も行政も考えるべきだ。水産業復興特区という言葉に踊らされる必要はない。(了)



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