11月1日 丸森町 台風の傷あとあちこちに 進まぬ復旧作業

DSC_0026.JPG台風19号の浸水被害から3週間。被害の大きかった丸森町に向かいボランテイア作業をした。町のボランテイアセンターで受け付けを済ませたあと割り当てられたのは、住宅の泥出し作業。男性6人、女性4人のチームで前河原地区の住宅に向かった。84歳の女性が一人で暮らすこの住まい、近くを流れる阿武隈川の支流・内川(うちかわ)が氾濫し床上50センチほどまで浸水した。女性はいち早く知り合いの家へ身を寄せて無事だったが、近くにあった商店を経営する77歳の男性が自宅裏で遺体で見つかった。2階ではなく、何かの都合で1階に留まっていたのではないかという。
男性陣が床下にたまった泥のかき出し作業、女性たちは使えなくなった家具などの運び出しをした。(作業を依頼した被災者のプライヴァシーを守るため、作業の様子の撮影は原則禁止だ)
床下には厚さ20センチほどの泥がパンケーキ状に固まっている。水を含んでいるから重い。中腰になってスコップでかき出すのはなかなかの作業だ。家の周りの泥は乾きだしているので風が吹くと砂ぼこりが舞う。マスクが欠かせないがたちまち汗だくになる。
「休憩!」リーダーの合図でパンパンになった腰を伸ばす。

福島県との境にある丸森町は、かつて養蚕が盛んだった山あいの穏やかな町だ。阿武隈川の舟下りや、鵜飼いなどの観光資源にも恵まれていた。8年前の東日本大震災と福島原発事故では、放射能濃度が高く特産のタケノコや、アンポ柿の出荷が一時規制されるなどの被害を受けた。ようやく立ち直りかけたところに今度は大規模な水害だ。
DSC_0009.JPGDSC_0029.JPG写真上:内川は10か所で決壊した。仮復旧作業が行われている。
台風19号が接近した10月12日、丸森町筆甫(ひっぽ)では24時間で558ミリという観測史上最大雨量が降った。国土交通省の調べに
よると内川をはじめ阿武隈川の3つの支流が18か所で決壊した。町の調べでは概数で500世帯余りが床上浸水した。土砂災害も含め死者は10人、1人が行方不明だ。

3週間経ったいまも住宅の軒先には流木がうず高く積み重なり、横転したり泥に埋まったままの車をあちこちで目にした。
泥が流れ込んだ住宅の復旧も思うように進まないという。ボランテイアの支援が大きな力だが、この日かけ付けたのは私を含め145人。交通の便に加え、ウイークデーなのが理由というが、泥のかき出しなど作業の依頼は300件を越しており、とても追いつかないという。
町のボランテイアセンターでは2日~4日の連休には仙台駅などから貸し切りバスを走らせるので、少しでも支援の手が増えることを期待している。

私たちの泥出し作業は昼食をはさんで4時間で一通り終わった。6畳間の部屋の床下の泥を出すだけで2時間はかかった。床下はこれで何とかなったにしても、勿論たたみは使えない。元通り暮らすためにはあちこち修理も必要だ。
家主の女性は、作業を終えた私たちに何度も頭を下げて見送ってくれた。快い疲労感を感じながらこの家を後にしたが、これから先の道のりの険しさを思うと気が重くなった。

被害判定はどう出されるのだろうか。「一部損壊」や「半壊」の判定だと支援金は対象外になる。応急修理の支援金を利用するにしても金額は
はスズメの涙、手続きも煩雑だ。東日本大震災で公的支援の枠外に置かれた「在宅被災者」がまた大量に生み出される。
DSC_0016.JPG写真:役場近くの町民グラウンドの災害ゴミ仮置き場。
台風被害を受けた地区は取材対象であると同時に、同じ地域に住まう私にとっては「隣人(となりびと)」が被った災厄である。少しでも力になれればと、ボランテイア作業を選んだ。

町内に4か所設けた災害ゴミの仮置き場も、1か所はすでに満杯だという。残る3か所も満杯に近い。この日もゴミを運び込む車が何台も入ってきた。
宮城県など東北は8年前に未曾有の大災害を経験し、復旧に向けたノウハウを血のにじむ思いで積み上げたはずだ。それが生かされることを願うばかりだ。(了)

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