12月28日 宮城県松島町 雄勝硯を瑞巌寺に献納 ~伝統工芸・観光復活へ光
平安時代の創建と伝えられる臨済宗・瑞巌寺(ずいがんじ)。日本三景・松島を代表する名刹で、伊達家の菩提寺である。石巻市雄勝地区で硯を作り続けている遠藤弘行さん(59)が、伝統の雄勝硯2点を献納した。伊達正宗は歌人・書家としても知られ、雄勝硯を愛用したという。その縁で、民間団体「石巻伝統文化継承者育成プロジェクト」の仲介で実現した。
献納した硯は長さ27センチの大型の足付長方硯(ちょうほうけん)。弘行さんが1か月かけて彫り上げた。原石の中でも比較的の硬い材質のネズミ石を彫った。 雄勝硯の原石は地肌の色から、白、黒、ネズミの3種類に分かれ微妙に材質が違う。
もうひとつは津波に流され、泥をかぶっていたものを修復した硯だ。長径が30センチほど、高さが7センチと重量感のある卵様硯(らんようけん)、卵型をしている。先代の故遠藤盛行さんが制作した。
瑞巌寺130代住職の吉田道彦(どうげん)老師が、献納された雄勝硯で早速墨をすった。下墨(げぼく)という。墨跡あざやかに書き上げたのは「第一義」。禅の奥義を意味する言葉だという。道彦老師は、墨が他の硯より早くすり上がり使いやすい。寺宝として大切に使いたいと話した。
雄勝硯は600年余の歴史を持つ。雄勝地区は古くから良質の硬い粘板岩を産出してきた。これが硯の原料や、屋根を葺くスレート材になる。先ごろ復元された東京駅の丸の内駅舎の屋根には、雄勝石が使われた。
伝統の雄勝硯も、3・11で壊滅的な被害を受けた。硯の展示や制作場となっていた雄勝硯伝統産業会館は破壊され、間もなく取り壊しが終わる。硯工人も廃業したり、内陸へ移り住むなどちりぢりになった。
こうした中、遠藤弘行さんは今年の1月、人の気配が消えた雄勝の中心部にプレハブの工房、兼店舗を構えた。
以来、単身で雄勝硯を制作し、伝統の灯を守り続けている。贈答品として企業などからの注文が増え始めたのと、被災地ツアーで立ち寄る客も目立つようになったという。
遠藤さんを支援する「石巻伝統文化継承者育成プロジェクト」を主宰する、小野寺鉄也さんはこう話す。石巻はじめ被災地の復興は、なかなか眼に見える形で進まない。伝統文化や工芸の復活が、地域再生ひいては観光を引っ張る力になるはずだ。遠藤さんにも雄勝再生の光になってもらいたい。
プロジェクトの主催で遠藤さんと、先代の盛行さんが制作した硯、50数点を展示する「津波を免れた硯」展が、来月(1月)末まで松島で開催されている。会場は瑞巌寺にほど近い「十二支記念館」、入場は無料だ。
瑞巌寺の境内で息をのむ光景に出会った。山門までの参道は樹齢100~200年の杉林が立ち並んでいた。その数およそ1000本。並木は夏は参拝客に冷気を降り注ぎ、冬は荘厳な霊地の空気を作りだしていた。ところが、
一角の杉並木が伐採され、ぽっかり空がのぞいていた。
松島は隣接の東松島市などに比べ、津波の被害は大きくなかった。湾内に浮かぶ島々が自然の防波堤になった。
瑞巌寺も山門の手前で津波は止まった。しかし、地盤沈下したためか4~50センチの海水が、引かずに長期間たまった。杉並木が塩水を吸った。立ち枯れた杉は伐採する他なかった。倒れては危害を及ぼすおそれがあるからだ。
成長した苗木を植樹してみたが、土壌の塩分が強く根付かない。杉並木が元通りになるには何年かかることか、瑞巌寺の担当の僧侶は顔を曇らせた。
震災前は年間365万人の観光客で賑わった松島。観光客はようやく7割を越すまでに回復した。問合せに松島町観光協会の担当者は答えた。震災から半年ほどは、ホテルはすべて復興事業関係者の宿舎だった。ある大手のホテルの駐車場には、全国から応援に駆け付けた警察の車両が所せましと並んでいた。
正月期間中はほぼ満員になるほどに観光客は戻ってきたという。旅行会社が被災地支援のツアーを組んでいるのが助かる。しかし、名物のカキが夏場の高水温で壊滅。カキを焼いてふるまうカキ小屋は開店休業状態。さらに、ツアー客には隣接する東松島市や、石巻市で被災状況を見学してもらっている。しかし、土産物の販売施設などが復旧していないので、充分なツアーを組めない状態だという。
松島だけが復旧してもだめ。地域全体が復旧しないことには、観光が復興したとは言えない。観光協会の担当者はこう強調した。
賑わいが戻ったかに見える松島も、やはり被災地だった。様々な表情や想いが交錯するなかで、あと3日。被災地は2回目の新年を迎えようとしている。(了)
*十二支記念館(松島町) 022-290-7311
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