9月6日 幸せくれた愛犬「さくら」逝く さようなら! そして ありがとう!

冒頭の写真は、お気にいりの場所、リビングルームのすみでくつろぐさくら(2017年6月)。
「元気印」という他なかったさくらの体調に異変が生じたのが5月末だった。突然、食事を受け付けなくなり、苦し気に横たわる。聞いたことがないうめき声もあげた。
行きつけの松陵動物病院でレントゲンを撮った。「肝臓が肥大、腹膜炎の疑いも」との診断だった。「手術は?」にはリスクが大きすぎるとのことだった。4日間の入院。奇跡的とも言える回復ぶりだった。食欲が戻り、朝晩の散歩は大幅に短くしたが、室内でぬいぐるみを追いかけて走り回るまでになった。
それもつかの間。8月末に再度体調が急激に落ちた。入院を断り、通院することに。9日間連続で病院に通い、輸液注射、痛み止め、抗生剤の注射を受けた。2日間の休診日も治療に応じてもらった。感謝である。呼吸の苦しさ、高熱が続いた。5日夜から6日にかけては私が添い寝して見守った。鼻筋をなでてやると気持ちよさそうにするのがいじらしい。しかし、朝の食事は一切受け付けなかった。
私たち二人が家事でほんのわずかの間目を離した時だった。枕元へ行くと呼吸が止まっていた。9月6日午前9時。
苦しみから解放されたのか表情は穏やかだった。眼と口を閉じ、全身をタオルで拭き、最後のブラッシングをしてやった。二人で讃美歌第2篇458番「みそらの星」を歌い、さくらを天に送った。


さくらが我が家にやって来たのは2008年の正月。実はそれまで3年ほど我が家にはシーズーの「バムセ」がいた。今は東京に住む娘夫婦の飼い犬で、二人がニューヨークとロンドンに住んでいた間預かっていた。バムセが親元に帰って家人のペットロスを心配してプレゼントしてくれたのがさくらだ。
ペットショップで出会う前から家人は、柴、名前はさくらと決めていたらしい。
すくすくと成長した。同じ団地の数匹の先輩犬によく遊んでもらった。ころころの子犬のさくらは、先輩に転がされてもあきずに飛び掛かっていった。成長期は歯がムズかゆいのかあちこち噛む。我が家の家具はテーブルといわず、サイドボードといわず幼少期のさくらの噛み跡が残っている。これもさくらが私たちと共に生きた大事な証である。
朝夕、30~40分の散歩が私たちの日課だった。雨が降ろうが雪だろうが歩いた。雪原を歩くのが特に好きだった。腹まで雪に埋まりながら原っぱを歩いた。雪の積もった小さな山をのどから腹を滑らせてソリのようにすべり降りるのも得意だった。
私たち老夫婦の健康はさくらが与えてくれた。


4年前にノラだった「すみれ」がやって来た。家の周りをうろついていたが、ある時目が会った。ベランダを少し開けたら身を乗り出してフードを食べた。家族にすることを決めた。姉妹のように仲良かった。ミー子が時折さくらにパンチを出すが、「余計なことするな」とばかり短くワンと言うだけだ。
どんな人や犬に会ってもさくらは決して吠えなかった。室内で飼っているのでどうしてもおやつをやることが多い。ころころとやや太めだったが、”人の好さそうな”風貌もあって近所では人気だった。通学の小中学生も「かわいい」と声をかけてくれた。

会話も途切れがちの老人所帯に和やかさと、微笑みを運んでくれたのはいつもさくらだった。
2日後さくらは小さな骨壺に収まって帰ってきた。ミー子は相棒がいなくなったのが納得できないのか、伸びあがって骨壺の匂いを嗅いでいた。さくら抜きで私たち二人は散歩を始めた。さくらと一緒に歩いたルートを。さくらの思い出を確かめながら。
幸せをもたらしてくれた さくら さようなら! ありがとう! 私たちはさくらを決して忘れない。(了)
この記事へのコメント
冬、地球から最も光って見える1等星で、オリオンの近くにあります。私もシリウスが見える季節になったら、さくらちゃんとhanaが遊んでいることを想像しながら、夜空を見上げることにします。
「みそらの星と輝きつつ~」と歌いました。そうですね、シリウスでhanaちゃんと一緒に遊んでいるのかもしれません。私もシリウスを眺めたいと思います。
https://hanako61.at.webry.info/202009/article_5.html