6月1日 石巻市雄勝 「雄勝硯伝統産業会館」10年ぶり再建・オープン~伝統工芸をどう継承する?

雄勝一帯で産出する硬質の粘板岩である雄勝石は「玄昌石」と呼ばれ、古くから硯に加工されたり、屋根を拭くスレート材として使われてきた。特に硯は600年の歴史を持ち、伊達政宗も愛用したと伝えられる。
会館の運営を委託されている「雄勝硯生産販売協同組合」事務局長の千葉隆志さん(58)に展示コーナーを案内してもらった。


展示コーナーには雄勝石を掘り出してから、製品になるまでや、様々な形状をした硯が展示されている。250面ほどの大量の硯が並べられたコーナーが目を引いた。
その一部を千葉さんがこう説明した。雄勝石でつくられる硯が主流だったが、時代とともに安価な中国産の石を使ったものにすこしずつ代わられた。さらに昭和50年代には学校の習字の時間ではプラスチック製の硯が使われるようになった。石では子どもたちが持ち運ぶのに重いというのも理由だった。墨をすって毛筆で書くというのは一部の書道愛好家に限られるのが現状だという。
良質と評価の高い雄勝硯も販売面では苦しいのは否めない。

手をこまねいているのではないという。雄勝石の粉をまぜてガラス製品を仙台・秋保のガラス工芸作家と協力して開発した。また、雄勝石の粉を陶磁器を焼く際の釉薬として使うと独特の発色をするという。皿などのテーブルウエアの新製品開発もしている。
しかし、もっと大きな悩みは後継者をどうして育てるかという問題だ。震災当時は雄勝地区で組合に所属する8人の工人が硯づくりをしていた。そのうち一人が津波で亡くなった。残る方々も高齢で亡くなったり、内陸部に移住するなど、雄勝在住で組合に所属する工人はゼロとなった。コーナーでは、硯制作のビデオが流れているが登場する工人は仙台在住で週に2~3日来るだけだという。
若手後継者の育成をと組合では3人を採用したが、硯制作の技術を学ぶ機会が十分ではないという。
原石の供給をどうするかも問題だ。現在は道路整備がすすんでいないなどの理由で新たな採掘はしていない。かつて掘った原石を使っているという。
「原石のストックはいつまでもつのでしょうか?」こう尋ねた。
千葉事務局長は「石がなくなる前に、(硯をつくる)人がいなくなるのでは」、自嘲気味にこう答えたのにはびっくりした。
後継者難の厳しさがにじんでいた。

作品は一流の書家が「最高級品といわれる中国・端渓の硯に匹敵する」と高く評価するほどだ。普段使いの硯も比較的に安価で販売しており、最近は「記念品」にするなどの注文生産も多いという。
しかし、遠藤さん自身も後継者はいない。「あと何年硯をつくれるのか」と言う。
このままでは長年受け継いできた伝統工芸が廃れる。関係者の誰もが抱く不安である。工人の高齢化はすすんでおり時間はあまりない。「地域の宝」である雄勝硯を後世に伝えていくにはどうすべきかを、行政当局も含め真剣に考えなければ、巨費を投じて再建した「雄勝硯伝統産業会館」も砂上の楼閣となりかねない。(了)
*コロナ禍や個人的な事情もあり取材活動を3か月近く事実上休止していました。個人的な事情とは年齢なりの体力の衰えです。コロナ禍は去ったわけではなく、依然として先の見えない状況ですが、随時取材を再開したいと思います。
この記事へのコメント
お久しぶりです。
ブログ再開、楽しみにしていました。
遠藤弘行さん、亀井さんがやられている、昨年の泉中央駅 おへそひろばでの「墨ふぇす」に来ていただいていました。
雄勝硯といっても地域によって作風が違い面白いですね。
形を変えてでも、技術が受け継がれていくとよいですね。
お久しぶりです。
ブログ再開、楽しみにしていました。
遠藤弘行さん、亀井さんがやられている、昨年の泉中央駅 おへそひろばでの「墨ふぇす」に来ていただいていました。
雄勝硯といっても地域によって作風が違い面白いですね。
形を変えてでも、技術が受け継がれていくとよいですね。