3月11日 8年目の祈り モーツアルト・レクイエムに込めて

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写真はいずれも前東北大学医学部教授・湯浅涼さん撮影。2019年3月11日、仙台市・電力ホール。
東日本大震災から8年、私たちは「祈りのコンサート」を開き、多くの犠牲者を悼み、地域の再生を願う祈りを会場を埋めた皆さんと共にした。「愛する人を亡くした悲しみや苦しみは、8年経っても癒されることはありません」
高坂知節実行委員長のあいさつに続いて、震災が発生した午後2時46分、客席、ステージの全員が黙とうを捧げた。

モーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を弾き始めた。短いが晩年の傑作の一つだ。
『私たちと結びついていてください 臨終の試練の時には』 合唱が静かに祈る。

会場の誰もが8年前のあの日を思い浮かべていた。”もう止んで”と願ったが、激しい揺れはこれでもかというように続いた。揺れがおさまって我に返ると街のあちこちでサイレンが鳴り響いていた。無数のサイレンが小雪の舞う冷たい空気を震わせていた。

3分ほどの曲が終わった。今回も拍手は一切遠慮してもらった。続いて、モーツアルトが死の床で書いたレクイエム、K626.
オーケストラが弾きだす短い序奏は葬列の歩みを思わせる。合唱と4人のソリストが『主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光で彼らを照らしてください』と歌い始める。
フーガの形で祈りが交錯する「キリエ・エレイソン 主よ、憐みください」に続いて「デイーエス・イレ 怒りの日」。いつになく早く、嵐のようなテンポで歌い、弾き切った。
この曲の演奏は6回目だが、毎回新しい曲想と発見がある。

指揮・音楽監督は岩手大学名誉教授の佐々木正利さん。テノール歌手としてヨーロッパの楽壇でデビューしたあと、東北の各地で多くの合唱団を育てているマエストロだ。
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4人のソリストはいずれも東北で活躍する方々だ。できるだけ多くの方にチャンスをという、マエストロの方針で毎回入れ替わる。
合唱団は岩手、宮城、山形で活動する6団体を中心にした混成メンバー。東京から参加した方々も含め総勢136人となった。
オーケストラは私が所属するアマチュアの仙台シンフォニエッタを主体に、仙台フィルや山形交響楽団などの奏者に加わってもらった。メンバーは51人で、私が今回もコンサートマスターを務めた。

曲は「チューバ・ミルヌム=不思議なラッパ」、「レックス・トレメンダス=おそるべき王」、「リコルダーレ=覚えていてください」、「コンフユータテイス=呪われた者」と続く。
そして「ラクリモーサ=涙の日」。

演奏しながらあの日の出来事が走馬灯のように胸の内をよぎる。
電気、ガスなどのライフラインがすべて止まったなかで、ラジオが刻々と甚大な被害が出ていることを伝える。福島第一原発の異変も伝えられ始めた。
真っ暗ななかでふと見上げると、美しい星空がまたたいていた。この世のものとも思えなかった。そして、人間の無力さを思い知らされた。そのとき、人は祈るしかないことも。

すすり泣くようなヴァイオリンにのって合唱が『それは涙に暮れる日、裁かれるために罪ある人が灰の中から甦る日』と、静かに歌い出す。
短い間奏をはさんで『彼らに安息を与えてください アーメン』と、合唱が悲痛な祈りを捧げる。
人はやはり祈るしかない。アーメンのコードをそんな想いを込めて弾いた。

モーツアルトの筆はここまでで息絶えた。天才作曲家も祈るしかないことを知っていた。以下の部分はスケッチなどを基に弟子のジェスマイヤーが仕上げた。
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「祈りのコンサート」は震災を忘れない・忘れさせないとの想いから始めた。出演メンバーはソリストを含めボランテイア奉仕。できるだけ多くの方々と祈りを共にしたいという願いから入場無料を続けている。2016年、昨年、今年とサントリー芸術財団から助成金をもらったが、経費の多くは個人、企業などから寄せられたご芳志でまかなっている。

今年の3・11は月曜日、しかも仙台は朝から風雨が強かった。皆さんの足を止めるのではと心配したが、1000人収容の会場は7割近い聴衆で埋まった。
「アニュス・デイ=神の子羊」、神の許しを乞うウーガで1時間近いレクイエムは終わった。

指揮の佐々木正利さんがマイクを握った。プロテスタントのクリスチャンでもある佐々木さんはこう話した。
「私たちの音楽が震災の犠牲者を慰めるということはできません。天の神、~あるいは仏様でもいいのですが~に向かって「どうか犠牲者を慰めてください」と祈るのです。音楽はそのための祈りです。これからも祈りを共にしましょう」。
少なくとも10回を目標に私たちはこのコンサートを続ける。日本社会の関心は来年の五輪に移っている。しかもそれは「復興」の冠がつくのだという。いまだに故郷へ戻れない福島の人々の苦しみをよそに、原発再稼働を急ぐ安倍政権や経済界。

ホールを埋めた深い祈りはこうした風潮への抗議でもあった。私たちは、来年もここでレクイエムを演奏する。(了)

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