1月20日 石巻市大川小 震災遺構の保存計画 「学校防災の視点」明言せず

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東日本大震災で児童74人と、教師10人が亡くなった大川小学校の旧校舎について、石巻市は説明会を開き震災遺構として保存する基本計画を明らかにした。
説明によると、被災した校舎は壁や柱などはある程度の強度が保たれているので、手を加えずに現状のまま保存する。しかし、天井やベランダなどは崩れる恐れがあり内部に立ち入るのは危険なため、安全な距離をとった見学ルートを設ける。
広さ3,3ヘクタールの敷地を「震災遺構」、「追悼の広場」、「鎮魂の森」、「駐車場」の4つのゾーンに分けて整備し植え込みなどで区分けする。校舎の入り口付近や、児童たちが制作した壁画の付近など6か所にメッセージを書き入れたボードと、解説パネルを設置するとしている。
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写真上:震災遺構基本設計の説明会。下;2階は3年生の教室、1階は職員室と会議室だった。
校舎と向き合う場所に300平方メートルの管理棟を置き、40人程度がミーテイングできる多目的スペースや、展示室を設ける。そして、震災前の街並みや大川小学校が分かる写真やジオラマを展示する。
今年10月をめどに最終的な詳細設計を確定し、2020年着工、21年度に遺構としての公開を開始する。
石巻市はこのように明らかにした。

出席したおよそ50人の住民からはこんな意見が出た。
「何を伝え、何を学ぶのかはっきりしない。学校防災の視点が欠けている」。
「あの惨事について真実が明らかにならないまま計画がすすむのは納得できない」。

これに対して石巻市の担当者はこう答えた。
「事実をきちんと伝えたい。ある結論をもって伝えることはしない」。
「大川地区では合わせて400人余りが亡くなっており、地区全体の地域防災のあり方を考えなければならない。その中に学校防災もあり震災遺構は二面性を持っている」

大川小学校の惨事は東日本大震災の中でも。学校管理下で起きた最大で最悪の惨事だった。仙台高裁の判決は事前の学校防災の不備を指弾した。石巻市と宮城県はこれを不服として最高裁に上告した。
さらに、児童たちを50分も校庭にとどまらせ、避難開始が津波襲来の直前となったのはなぜなのか、遺族の方々がもっとも知りたいのはこの点だ。しかし、ただ一人生き残った教師が口を閉ざしていることなどからいまだに闇の中だ。
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当時6年だった長女を亡くした、「大川伝承の会」共同代表の鈴木典行さん(54)はこう強調する。
「大川小学校を学校防災のあり方を考える拠点にするべきだ。南海トラフ沿いの大地震などが心配される中で、全国から訪れる人が学校防災はどうあるべきかを学ぶ場にすべきだ。それが多くの亡くなった子どもたちに応える途だ」。

説明会終了後のメデイアのぶら下がり取材で、石巻市の亀山紘市長は記者の問いかけにこう答えた。
記者:「この先最高裁の判決で認定された事実は新しい真実となるのでは?」
亀山市長:「認定事実は真実として(これまで判明している真実と)変わってくる」。

石巻市はこのあと、最終的な詳細設計の確定に向け住民と話し合うことにしている。(了)

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