10月9日 映画「願いと揺らぎ」を観る~震災を越え獅子舞を取り戻した人々

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山形国際ドキュメンタリー映画祭2017の5日目の会場に足を運んだ。我妻和樹監督の「願いと揺らぎ」を観るためである。宮城県南三陸町の波伝谷(はでんや)集落の東日本大震災後の歩みを記録したドキュメンタリー。2014年に発表した「波伝谷に生きる人びと」の続編だ。
200数十人が暮らしていた波伝谷集落は大津波で壊滅的な被害を受けた。80戸の住宅が流され、16人が亡くなった。私も何度か取材で訪れた印象深い被災地である。
スクリーンには、震災後初めて自宅跡を訪れた女性の姿が映し出される。土台跡を指さし彼女は「ここが玄関だった。庭には小さな社があった」と話す。モノクロームの映像が、被害の大きさと人々の心の傷を伝える。仮設住宅の集会所の「お茶っこ会」でお互いのつながりを確かめ合う人々。遠く内陸部の仮設住宅でふるさと・波伝谷への想いを語る女性。すべてモノクロームだ。集会所は何度か取材に通った。

前作「波伝谷に生きる人びと」は、部落(人々が誇りをもって語る言葉がそのまま使われる)の暮らし、つながりがどのように形成されてきたかを、ちょっとした諍いも含めてじっくり記録したものだった。そこでは契約講という伝統的な組織と、その講が中心となって3月に行われる「お獅子様(おすすさま)」が描かれる。主要な生業であるカキやワカメなどの養殖漁業の成り立ちと、抱える問題点もかくさず記録していた。
都市部にはない、ある種の煩わしさも含めた濃密な人間関係が部落のつながりを支えていることが見て取れた。そして、3・11。翌日、たどり着いた我妻監督はなすすべもなく波伝谷をあとにする。135分の作品で5分ほどしかない。

作品は唐突に終わり、上映後のトークセッションで我妻監督は続編を作ることを約束していた。
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写真上:2年ごとに開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭は今年15回目。161作品が参加した。写真下:若者グループのリーダーの母親が、息子の想いを語るシーン(PRサイトから)。
震災の翌年、2012年に部落恒例の「お獅子様」を復活させようと言う声が若者の中から出てくる。「この日は部落の誰もが参加、食べ物を分け合って食べた」。若者たちの声は人々を勇気づけた。しかし、「お獅子様」の幕や、踊り手の衣装はすべて流された。
支援を募って、道具を調達しようという契約講に対して、若者たちはできるだけ自前の努力で揃えたいと主張する。すれ違いが生まれた。
若者のリーダー、菅原幹生さんの想いを聞きたいと我妻監督はインタビューを申し入れるが、断られ続ける。

一方、生業であるワカメ養殖も再生に向けて動き始める。作業用の漁船や、施設がほとんど流されたなかで補助金をもとに運営される養殖漁業は集団化が原則。農水省が打ち出した「がんばる養殖」という復興事業である。長年三陸の漁業者は「家族経営」が原則だった。”一匹オオカミ”の漁業者はなかなか共同経営にはなじめない。時折、ちょっとした諍いがあることもカメラは追う。

震災前の回想シーンはカラーで描かれる。この対比が効果的だ。当たり前の暮らしは色がついていたが、モノクロで描かれる震災後は「未だ日常でない」という想いが伝わってくる。
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写真:地区内を練り歩く「お獅子様」(前作のPRサイトから)
2012年4月、「お獅子様」は復活し仮設住宅団地を練り歩いた。
しかし、その映像は出ない。4年半後、2016年12月に飛ぶ。再建した自宅で幹生さんがインタビューに応じた。細かい経緯には触れず、笑顔で「やってよかった」とひと言。居間のテレビには「お獅子様」の晴れやかなビデオ映像が流れていた。

字幕で「幹生さんが了解しなかったら、復活した『お獅子様』の映像は出せないと思っていた」。我妻監督はこう明かす。146分の大作だった。

住民の間のすれ違いを越えて、部落の人々の心を一つに結ぶ「お獅子様」は再生した。

もう一つ、諍いがあった養殖漁業も、この作品では描かれていなかったが震災を経て見事に再生した。とりわけカキ養殖は、震災前に悩まされていた過密養殖という問題を克服して、全国的にもモデル地区とされるまでに生まれ変わった。波伝谷を含む戸倉(とぐら)地区のカキ養殖はオランダに本部のある「水産養殖業管理協議会」からASCの認証を日本で初めて受けた。海の自然環境を守る持続可能な水産物、いわば「海にエコラベル」である。

不協和音のあった「お獅子様」と「養殖漁業」の二つを、ともに再生させた地域力とは一体何だろうか?
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終映後、ステージで質問に答える我妻監督。
トークセッションなどで我妻監督はこう答えた。
「波伝谷という集落が長年培ってきた人々のつながり、結束と言う他ない。震災という喪失を体験することで、人々には何が大切なのか改めて見えてきたのではないかと思う」。

加えて、私は「悲しみの共同体」という言葉を付け加えたい。

仙台市在住の民俗研究家、結城登美雄さんは度々こう語ってきた。
「三陸沿岸の漁業集落は『悲しみの共同体』だ。『板子一枚下は地獄』と言われるように、漁業者の暮らしはつねに死と隣り合わせ。どの家族にも海で亡くなった身内がいる。
夫を海難事故で失った寡婦がいるとする。人々は水揚げした漁獲の一部をそっと道端に置いて去る。不幸を背負った家庭が利用できるようにである」。

3・11大震災で、漁業集落はどこも大きな悲しみを背負った。しかし、その大きさに負けない共同体があったことに私たちは驚き、感動する。
波伝谷の物語もその一つだったに違いない。(了)

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