7月17日 仙台市荒浜 被災地の実情語り継ぐ若者たち 高校生たち今年もやって来た

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きょうは「海の日」、高校生41人が貸し切りバスで仙台市荒浜に着いた。茨城県立取手第一高校が続けている「東北復興支援バスツアー」の一行で、4回目の訪問だ。今回は茨城県がバスのチャーター代を補助してくれたので、参加者は去年より10人余り増えた。隣接の藤代高校からも2人が参加した。元住民たちでつくる「荒浜再生を願う会」のメンバーが出迎えた。
海岸近くに仙台市が建てた慰霊のモニュメントの前で、海に向かって黙とうをして震災の犠牲者を悼んだ。このあと、砂浜でゴミ拾い作業をした。震災時のがれきや、飲料水のボトル、空き缶などのゴミはあまり目立たない。ビニールの切れはしや、花火の燃えがらなどを丹念に拾い集めた。
高校生の中には、「(茨城の)大洗海岸よりきれいじゃない」という声も。
これには訳がある。ここ深沼海水浴場は、今月29日と30日の2日間、震災後はじめて試験的にオープンする。仙台市がそれに備えて、防潮堤から波打ち際まで110メートルの幅を、南北220メートルの範囲を清掃したためだ。同時に防潮堤の外側に群生していたハマヒルガオまで抜いてしまったのを、住民たちは悔やんでいた。
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この日、仙台は33度を超えるこの夏一番の暑さ。暑さに誘われ、水遊びに興じる家族連れにまじって、高校生たちが波と戯れ歓声を挙げていた。
このあと、鳥取県の支援者が送ってくれた大玉をつかったスイカ割り。波打ち際で拾った流木などを手に、スイカに近づいたり、遠ざかったり。ユーモラスな姿に笑いが弾けた。

「荒浜再生を願う会」代表の貴田喜一さん(72)が、こつこつと仕上げた「里海荒浜ロッジ」ではカキ氷がふるまわれた。石窯では荒浜名物の”手作りピザ”。高校生たちが思い々々にトッピングしたピザを、交代で窯で焼いた。

荒浜一帯はこの一年でかなり姿を変えた。海に向かって慰霊のモニュメントが建てられたのをはじめ、北側の地区には震災前にあったパークゴルフ場が作り直され、クラブハウスも再建された。また、荒浜小学校の旧校舎が震災遺構として保存され、震災の教訓を伝える拠点として多くの人々が訪れるようになった。
そして、深沼海水浴場が2日間限定とはいえ、今月末プレオープンする。
「荒浜再生を願う会」のメンバーは現地再建を希望した。しかし、災害危険区域に指定され、住むことは禁止された。元住民たちは、住めないにしてもかつてのにぎわいを取り戻したいと活動を続けている。
荒浜地区の変貌ぶり、住民たちの努力が大きな力となったのは間違いない。


高校生たちは旧荒浜小学校に場所を変え、震災の様子を伝える展示物や、記録映像を見たあとワークショップを行った。
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まず、きょうの訪問で印象に残ったことを話し合った。
ある男子高校生は「砂浜で深く根を張った草を見つけた。津波に耐えて残ったのかなと感慨深かった」。と話した。
「小さなカニを見つけた。元気に動きまわっていた。がれきの中で生き抜いたのかなと思った」。こう話す高校生もいた。

4グループに分かれて、荒浜地区をどのように活用したいか議論した。発表されたアイデイアは次の4つ。
○花火大会をやる。場所はきれいなので適している。 ○海辺に結婚式場をつくる。青い海をバックに写真を撮りたい。 ○沖合を通る大小の船にイルミネーション。夜の海を飾る。 ○ライブのフェステイバルをやる。夜は花火大会。
いずれも、若者らしい柔らかな発想だった。

去年に続いてツアーに参加した久保田和美さん(3年)はこう話した。
「荒浜が年を追って姿を変えていることにびっくりした。住民の方たちの努力が実ったのだと思う。やはり足を運んで実際に目にしないと実情は分からない」。

また、第一回から付き添いをしている大滝修教諭はこう言う。
「6年余り経ち、なおさら首都圏にいると震災の姿が見えなくなる。高校生が被災地に足を運んで、実際の姿を地域や、後輩たちに伝えていく。この活動はできる限り長く続けたい」。
社会の関心が3年後のオリンピックに目移りし、東日本大震災の風化がささやかれる中、被災地を語り継ぐ若い魂の存在は貴重だ。
高校生たちは5時間余りの交流を終え、爽やかな風を残して荒浜を後にした。(了)






この記事へのコメント

クロネコ
2017年07月18日 22:38
スイカは鳥取県の山下さんが送って下さったものです。又、重機が入って、無くなってしまったのは、ハマニルガオです。
2017年07月19日 10:07
クロネコさん失礼しました。訂正しておきました。

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