12月2日 気仙沼市 ”巨大防潮堤はいらない!” 住民たちの異議 各地で相次ぐ
この日、気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)の住民たちが441世帯の住民の署名を携えて、宮城県の気仙沼合同庁舎を訪れた。住民たちは防潮堤工事を担当する水産漁港部の担当者に、署名簿と宮城県が計画する9・9メートルの防潮堤は認められない。高さ5メートルの防潮堤を早期に建設することを改めて求めた。
唐桑半島の西北部に位置する鮪立地区。おだやかな湾の先には、”緑の真珠”と呼ばれる気仙沼大島が浮かぶ。遠洋漁業と養殖漁業を中心とした集落で、湾沿いの高台に家々が建ち並ぶ。震災後、支援のために現地に入った研究者が「小宇宙のような」と表現した美しい集落だ。
この海岸に宮城県は高さ9・9メートルの防潮堤を建設する計画だ。漁港のぐるりを巨大なコンクリートの壁が取り囲むことになる。これでは漁港機能が損なわれるだけでなく、海とともにある地域の暮らしが消える。住民たちは「鮪立まちづくり委員会」を作って熟議を続けてきた。住民たちがたどりついた結論は、明治三陸津波での鮪立地区の津波高は4メートル余だった。余裕高を考慮しても、防潮堤は5メートルで十分だ、といものだった。
住民たちが今年の2月に行った意向調査では、県が計画する9・9メートル案を支持する声が35パーセントあった。計画内容への理解がすすむにつれて、今回は住民の79・3パーセントにあたる441世帯が、高さを5メートルに引き下げる案に賛同し署名した。
まちづくり委員会の鈴木伸太郎委員長(69)は、「事実上、住民の一致した見解だ。これを否定することは、鮪立のコミュニテイを否定することになる」こう述べて速やかな回答を迫った。
住民たちは9月末にも同じ趣旨の要望書を出している。宮城県の担当者は近く回答すると答えるにとどまった。
写真上、鮪立湾、遠くには大島。中、気仙沼大島・小田の浜海岸(気仙沼市のHPから)。宮城県の示した計画図、海岸から30メートル内陸側に築く”セットバック案”。
前日、12月1日宮城県は大島の小田の浜(こだのはま)地区で防潮堤計画の説明会を開いた。高さはさらに高く、11・8メートル。海岸から30メートルほど内陸側に寄った所に築くセットバック案も示された。ここに盛土方式で高さ22・8メートル、底面34~54メートルの防潮堤を築く。その脇に幅10メートルの県道を整備し、クロマツやサクラを植えるというものだ。海水浴場の砂浜は確保されるもの、万里の長城と呼ばれた宮古市田老地区の防潮堤より高い構造物が、内陸と隔てることになる。
小田の浜は全国的にも知られた海水浴場。環境庁の「快水浴場百選」で全国2位の特選に選ばれた。3・11の津波は美しい砂浜をはぎ取った。浜には瓦礫が散乱していた。ボランテイアの協力で砂浜の清掃が進められ、海水浴場は震災の次の年に再開した。
説明会が住民の反発の声で紛糾した。日本を代表する海水浴場に巨大な防潮堤を作るのは許されない。海岸沿いの地域には人が住まない。防潮堤は何を守ろうとするのか理解できない。反対の声が大勢を占めた。
同席した気仙沼市の担当者は、これまであった高さ4・3メートルの防潮堤でも、11・8メートルでも今回の震災クラスでは津波の浸水域はほぼ変わらないと、シミュレーションの結果を明らかにした。その上で、気仙沼市としては「原形復旧」案を宮城県に申し入れていると述べた。
気仙沼市の内湾(ないわん)地区も、防潮堤計画をめぐって宮城県と住民たちが対立を続けている。気仙沼湾の最も奥まったところにあるこの静かな入江は、昔から帆船が風を待って待機した「風待ち地区」と呼ばれてきた。漁船の係留所や、フェリーの発着所があるほか、港沿いには遊歩道や、観光スポットである「お魚いちば」もある。
防潮堤はこれまでなかった。ここに宮城県は高さ5・2メートルの防潮堤を計画している。港町の風情が失われる。地域の住民たちは一斉に反発した。「防潮堤を考える会」で専門知識を学んだあと、「内湾地区復興まちづくり協議会」をつくって議論を重ねてきた。
住民たちの結論はこうだった。内湾の入り口に湾口防波堤を作った上、防潮堤の高さは3・8メートル。宮城県案よろ1・4メートル引き下げる。余裕高として津波襲来時に立ち上がる高さ1メートルのフラップゲートを設ける、というものだ。
港沿いの地域には水産物や土産ものを売るショップのゾーンや、飲食店のゾーンを整備するなど港を観光資源としたまちづくりのグランドデザインもつくった。
一方、気仙沼市は同じような観点から次のような見直し案を明らかにした。防潮堤は住民案と同じように3・8メートルとする。防潮堤の上に配置するフラップゲートは1・3メートル、住民案よりやや高い。湾口防波堤は設けない。船の航行に支障が出ることや、湾口を閉じることによって水質が悪化するおそれがあるためだ。
2つの見直し案は近く宮城県に提出される。県と住民の間で議論が交わされることになる。ふきだす住民たちの異議申し立てに宮城県の村井嘉浩知事がどう答えるかが問われる。
村井知事はこれまで計画の見直しに一切応じない姿勢を崩していない。隣の岩手県が住民との話し合いで、合意を探ろうという努力しているのに対して、村井知事のかたくなな姿勢は謎と言っていい。
民主党政権で内閣官房参与を務めた、法政大学教授の五十嵐敬喜氏(都市政策)はこの防潮堤をめぐる問題を分かりやすくまとめた。(「防潮堤問題の本質とは何か」世界、12月号)
この中で、村井知事は「知事五原則」にこり固まっていると指摘する。防潮堤問題への知事ノスタンスだ。①予算の範囲内。②今年中に住民の合意を取る。③まちづくりと一体でなければならない。④防潮堤は県一律のルールで考える。個別的な例外ない。⑤「L1」(数10年、百数10年に一度の津波)が最低の基準でこれは下げない。
そして、国の姿勢がかなり柔軟となっていたのに、むしろ県が強硬になっていること。五原則には「計画の中止」や「代替案の検討」という概念がもともないと指摘する。村井知事が自らのつくった五原則にいわば自縄自縛になっている姿を浮き彫りにした。
こうしたとんでもない思い違い、勘違いは何に由来するのだろう。
鮪立まちづくり委員会の委員長、鈴木伸太郎さんの言葉が的確に言い当てている。鈴木家の屋号は「古舘(こだて)」。奈良時代から続く旧家で、生きているイワシを撒きながら釣る「カツオ一本釣り漁法」を三陸に紹介した船主でもあった。
鈴木伸太郎さんはこう言う。
三陸の漁村は獲れる魚種や、養殖に適した海産物も浜によって異なる。ここでカキがよく育っても、岬を一つ越すとワカメがいいなどという場合もある。地形も違う。当然襲ってくる津波への備えもそれぞれ違ってきた。浜はそれぞれに独自の歴史と文化、そして人々のつながりを育んできた。
村井さんはこうした歴史、文化を理解していないのでは?画一的なコンクリート行政を強行することは、長年人々が築いてきた地域社会を破壊する。「富県(ふけん)構想」(村井知事の唱える政策)というが、それはトヨタを誘致するだけで済むはずはない。三陸に根付てきた豊かな生産力と、文化をさらに伸ばすことも必要だ。
物静かな鈴木さんの言葉には、三陸の地域社会で生きてきた人々の誇りと、自信があふれていた。
三陸沿岸は他地域以上の人口減少に悩まされてきた。震災はそれを加速しようとしている。人々はそれをはね返す地域社会を作ろうと、心に刻んでいる。巨大なコンクリートの構造物は、いったん作られたら後戻り不可能だ。長年受け継いできた知恵を結集して、苦境をはね返そうと努力している人々の心を折るだけでない。それは、将来の世代に負い切れないほどの”負の遺産”を残すことになる。
村井知事、こわばった首筋をやわらげてはいかがだろう。宮城の各地に根付く良心の声に、素直に耳を傾けて欲しい。(了)
*大事なお願い!
「このままでは日本中の海が壁で囲まれてしまう!」。気仙沼市防潮堤を勉強する会が中心となって、計画の再考を求める”ネット署名活動”を進めている。12月25日現在で、6425人が署名。署名活動に参加しよう。日本列島に住む、私たちの祖先が守り続けてきた”海辺の暮らし”を守るために。防潮堤を勉強する会のURLは以下の通り。http://seawall.info/


この記事へのコメント
このような計画が水面下で進められている事に驚きました。
以前、瓦礫処理委託として震災瓦礫を各地にばら撒かずに防波堤に再利用しようと、当時、気仙沼市長が提案されていましたが、今に至る現在まで国はその提案を無視し続けました。
住民の意向を無視する国の体制は、気仙沼市長の提案を無視してまで再利用できた筈の震災瓦礫を日本各地に拡散させたあの頃と、何も変わっていないように思います。
呆れて言葉も出ません....
震災復興を真剣に頑張っておられる方々が報われるように、断固反対していくべきと感じました。