5月25・26日 仙台市荒浜 フォーラム 住民支える応援演説次々~問われる住民・研究者の”支援”

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25・26日、荒浜フォーラムⅡが開かれた。会場は仙台市若林区にある七郷市民センター。2日間のフォーラムに、60~80人の住民が参加した。仙台市荒浜で現地再建を求める住民たち、「荒浜再生を願う会」が主催した。昨年に続いて2回目のフォーラムだ。サブテーマは「ふるさと荒浜の里海を考えよう」。里海は造語である。海とともにあった暮らしを育んできた、豊かな海辺を住民たちはこう呼んだ。
1日目のシンポジュームは「災害危険区域を問う」。基調講演に立った神戸大学名誉教授で、日本災害復興学会前会長の室崎益輝(よしてる)さんは、現在行政が進める防災集団移転事業は誤っていると明快に断じた。

復興の目標は次の3つだ。①被災者・被災地が自立できるようにする ②悲劇を繰り返さないよう安全にする ③社会が抱えている問題の解決をはかる。
高台に移転すれば津波は来なくなる。しかし、自然と向き合い、自然の危険性も知り、逞しく暮らしてきた人間のあり様は見捨てられる。津波への恐怖から移転を望む人々がいれば、残りたい人々もいるというのがごく自然の姿だ。ところが、行政は一方的に集団移転をせまり、同じ被災者を敵・味方のように分断しているのが現状だ。

1994年の北海道南西沖地震後の、奥尻島の復興事例をこう紹介した。行政は当初、全面移転案を考えた。ところが、時間が経つにつれ現地に残ることを希望する住民が出てきた。行政は被災者の声を聞き、合意形成を図ることに全力を注いだ。担当者は被災者と2~3時間も話し込んだという。結果、部分移転に転じた。住民の合意が成ったあとの事業は早かった。3年で復興はなった。青苗地区では高台が70戸、現地かさ上げ再建が200戸だった。
「思いを先に、形式は後で」が復興のプロセスだ。つまり、どのような地域社会を再生させるかが先。そのためにどんな手法を取るかは後。
ところが、今回は震災直後に政府が高台移転・職住分離を打ち出した。自治体は一斉に右ならえ。形式・手段が先行した。住民は津波のトラウマからくる恐怖心で、踏み絵=集団移転を迫られた。そして、住民の合意形成という重要なプロセスは一切無視された。
再生を願う会のメンバー、高梨哲彦さんが情報公開制度などを通じて入手した仙台市の文書から、次のように報告した。
震災からわずか11日後、3月22日の庁内会議の議事録。「(震災を機に)土地利用の大胆な見直しが必要」。さらに3月29日の庁内会議では「住民の意向にかかわらず、市が集団移転を強く推進する」。住民の合意形成はまともに検討された形跡はない。
室崎さんはこう結んだ。政府、自治体とも神戸や、奥尻など過去の災害に何も学んでいない。行政の担当者が防災集団移転の制度の趣旨や内容をよく理解しないまま、杓子定規な運用がまかり通っている。
このあと、法律や、建築学などの研究者が次々に登壇して、集団移転事業や災害危険区域指定などの問題点を指摘した。
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フォーラム2日目、室崎さんに加え、作家の森まゆみさん、地元学研究実践家の結城登美雄(ゆうきとみお)さんの3人が、荒浜再生に向けた展望を話し合った。
森さんは、現地に住みたいと望む人々の存在をはじめて知った。人々の願いもよく理解した。しかし、被災地でこのような事態が進行していることを、東京の人間はおそらくだれも知らない。率直に語った。
東北の農漁村を歩き、人々の暮らしを記録し、地元学を提唱している結城登美雄さんは荒浜の歴史をこう語った。仙台が政令市のなろうとする20数年前、伝統的な習俗、光景が消えようとしているという、住民たちの危機感を耳にした。荒浜を中心に七郷の歴史を改めて調べた。海辺の恵みとともにあり続けた豊かな暮らしがそこにはあった。それが、震災で再び姿を消そうとしている。豊かな歴史を残すのは皆さんの努力だ。「美しい村ははじめからあったわけでない。美しく生きようとする人々がいて、美しい村は生まれた」柳田国男の言葉を引用して、住民たちの歩みを激励した。
2日間、住民たちを激励する言葉が次々に語られた。防災の専門家から、建築学、法律、哲学、そして歴史学の立場からも。
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小生もコメンテーターとして壇上に呼ばれた。次のような提案と注文をした。
災害危険区域に指定されながらも、住み続けること願うことの正しさは、2日間の議論を通じてここにいる人間には”常識”となった。しかし、森まゆみさんが語ったように、東京では常識でない。宮城、仙台ではどうだろう?残念ながらこうした理解は浸透していない。私たちが共有した常識は会場を出たとたんに非常識になる。
マスメデイアが復興事業の問題性を充分に伝えないことが大きい。幻想は持ってはだめ。「マスメデイアは勝ち馬に乗る」というのが、フリーで取材し始めてえた結論の一つだ。何か問題があっても、社会の大勢が決するとメデイアはそちらへ流れ、書かなくなる。原発神話はこうして生まれた。集団移転j事業も同じだ。
マスメデイアが書かないなら、住民たちが自前のメデイアを持つべきだ。自分たちの新聞「いちご新聞」とともに、大きく成長した山元町の「土曜日の会」を紹介した。詳細は当ブログの5月18日の項で書いた。

住民たちが数カ月の議論の末練り上げた、現地再建の将来像も~当ブログでは「仙台平野に浮かぶひょっこりひょうたん島」と紹介した。(2012年11月12日の項)~仲間であるはずの被災者たちにすら知られていない。
自前のメデイアはこうした自らの主張を、外部に広く伝える役割を持つ。それ以上に、自らの歩みを会員同士が共通認識として確認する手段でもある。願う会の定例会を取材していて、同じ問題が何度も蒸し返されるのを見てきた。認識を共有できていないのではと、気がかりだった。A4版1枚の会報でもいい、簡単なHPでもいい。自前のメデイアを持つことだ。

2年後の2015年、仙台市で国連防災会議が開かれる。宮城県知事や、仙台市長が問題だらけの集団移転j事業を復興の成果として国際社会に発信する。想像するだに身の毛がよだつ光景だ。このような事態を許してはならない。会議を住民の立場に引き寄せる努力が必要だ。
1982年、ニューヨークの国連本部で軍縮特別総会が開かれた。日本の反核団体や、被団協をはじめ全世界のNGO組織が参加した。NG0代表が国連総会で演説することも許された。
防災は、被災者ぬきには決して語れないテーマである。手始めに、各地で同じよう活動を続けている住民団体同士が手を結ぶ必要がある。専門家集団は仲介を手助けして欲しい。

さらに、住民たちがいま直面している壁が何かは明らかだ。行政は決して敵ではない。敵にまわすなと研究者は説く。しかし、住民たちが対話を求めても、行政側とは対話の糸口すら持てないでいるのが現状だ。こうした壁を打開する努力を、研究者たちは求められているはずだ。2日間の議論でも中間支援組織などの必要性が度々強調された。室崎さんは、「いまこそ専門家の責任が問われている」とも述べた。遠まわしに研究者たちに奮起を促したものではなかったか。

もフォーラムの閉会まぎわ、「荒浜再生を願う会」のメンバーの一人が発言した。「先生方に本音を聞きたい。本当に荒浜へ帰られると考えているのですか?」住民たちの本心を代表していた。
室崎さんはこう答えた。「皆さんが希望を捨てない限り帰ることができます」。この言葉を信じたい。そして、研究者たちの支援のあり様が問われるのはこれからだ。(了)

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    Excerpt: 5月25・26日 仙台市荒浜 フォーラム 住民支える応援演説次々~問われる住民・研究者の”支援” 震災日誌 in 仙台  /ウェブリブログ Weblog: オークリー レンズ racked: 2013-07-06 06:08