5月5日 名取市閖上 今も津波の匂いの記憶が! ~語り部の活動始まる

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名取市閖上(ゆりあげ)地区に再度足を運んだ。閖上中学校の前に「閖上の記憶」と名付けられたプレハブの建物ができた。NPO法人地球のステージが作った。閖上地区では7300人の住民のうち740人余りが大震災で犠牲となった。豊富な海産物が水揚げされる漁港のある穏やかな地域だった。
平坦な地形で避難できる高台が近くにないことが、被害を大きくした。
建物は津波の被害を多くの人々に知ってもらいたいとの願いから作られた。被害の実情を示す資料が展示されている。被災者が自らの体験を語る、語り部の活動も行うことになった。
午後2時半、被災者の丹野祐子(ゆうこ)さん(43)が自らの体験を語った。丹野さんは海岸からおよそ1・5キロ内陸に住んでいて被災した。中学一年の長男と、ご主人の父母を亡くした。
14人の生徒が亡くなった、閖上中学校の遺族会の会長をされている。
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丹野さんが語った生々しい体験は以下の通りだ。
3月11日、中学校3年だった長女の卒業式の日でした。地区の公民館で80人の父母が謝恩会を行っていました。そこに経験したことのない揺れが襲った。ほぼ全員がいったん公民館前の庭に集められました。不安な思いでいたが、多数の知り合いが一緒だったこともあり安心感もありました。公民館は訓練の際の避難所でした。
名取市の防災無線は何も伝えなかったし、避難の指示もありませんでした。45分後くらいでしょうか。午後3時30分頃になって誰からともなく「ここでは危ない、閖上中学校に再避難して」という声が聞こえてきました。多くの人々が中学校へ向かい始めました。私は愛犬を一緒につれてきていたので、学校への避難は難しいと思いあえて無視し留まりました。
突如、海側にあるお寺の屋根の上に煙が走った。火事だという声もあった。それが津波だった。あわてて公民館の2階に駆け上がりました。津波は2階ぎりぎりでとまった。間一髪のことでした。公民館前の庭にいた100人前後のうち、2階に逃げれたのは38人でした。

呆然として家々や、車などが津波で流されていくのを窓から眺めていました。あまりのショックを受けると人間は一時感情を失うもののようです。公民館から中学校へ向かった人の多くが途中で津波に呑まれたのは後で知りました。
連休の旅行客など40人余りが耳を傾けた。丹野さんが続ける。
皆さんこの場所に来ても、津波で建物がすっかりなくなっていること以外には何も感じないと思います。しかし、私たちは違います。今も津波の匂いの記憶がよみがえり、身体が固くなってしまうのです。
津波の怖さはテレビの映像で皆さん見たと思います。しかし、映像には匂いがありません。潮の匂い、それに土埃の匂い、それが真っ黒な壁となって襲いかかってきたのです。忘れようとしても、あの匂いは忘れられません。

まさか、閖上に津波は来ない。安心感を持っていたことは事実です。大きな代償の末に癒しがたい教訓を得ることになりました。これを多くの方々に伝えるのが生き残った私たちの使命だと考えています。
丹野さんはこう締めくくった。
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連休を利用して東北旅行に来たという、川崎市の19歳の女子大学生。「体験者のお話を初めて聞いた。被災者に対して多くの人々が”頑張れ”と言う。被災された皆さんが何に対して頑張っているのかを、改めて思い知らされた」こう話した。

「閖上の記憶」には、被災した子どもたちが粘土で制作したジオラマも展示されている。
閖上の未来のコーナーには「閖上タワー」という作品があった。500メートルの高さのてっぺんからヘリコプターで避難できます。こんなコメントが添えられている。
「津波を止めるロボット2号」や、「津波に強いホテル」という作品もある。
生まれ育った地に愛着を持ちながらも、平坦な地形を何とかしたいという子どもたちの痛い思いが伝わる。
被災した子どもたちの心のケア活動をしている、心療内科医の桑山紀彦さんに聞いた。
震災から1年、ジオラマ作りなどに参加している子どもたちは、ようやく自分たちの胸の内を語り始めた。過酷な体験に当初は多くの子どもが心を閉ざし、口をつぐんでいた。彼らは自らの体験に向き合う力を身に付けたのだ。
1年経っても、まだ語れない子どもたちが心配だ。
地域の未来を担う子どもたちに手を差し伸べる、息の長い活動が必要だ。

「閖上の記憶」での語り部の活動は、この後も続けられる。問合せは「地球のステージ」(022-738-9221)
(了)

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この記事へのコメント

雪ん子keikai★月
2012年06月03日 08:47
東日本大震災は直線的には津波が一番怖かったですねぇ。実はこの震災の二年位前に、自宅の様な一室にいて自分の背丈より高い所の窓から〓盛り上がるくるかの様に浸水しようとする瞬間の【大津波に襲われる夢】を一度だけ観ていたのでコメントさせていただきました。ユリアゲには僕の飛島出身の従姉が嫁いで生活していて一度遊びに行った事があるのですが、足に障害がある彼女の旦那さんは、公務員の娘と買い物から帰ってから娘が仕事に職場に向かう為に分かれてから大震災の揺れを感じ、逃げる必要性を感じる前に自宅で津波に遭い亡くなられました様ですが、彼が津波に遇った体験の一瞬間を夢で僕が先に見ていたのかもしれません。
こちら→http://ameblo.jp/kaikakuu/〓僕のblogです。

山形県酒田市より。

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