4月21日 石巻市雄勝立浜地区 地域の再生は住民の熟議で! 復興部会発足へ
石巻市雄勝半島の中ほどにある漁村、立浜(たてはま)へ足を運んだ。前日から被災地の調査に訪れている、NPO法人神戸まちづくり研究所のメンバーが住民と意見交換をする。
研究所は阪神淡路大震災の復興に市民の立場から取り組んでいる。日本災害復興学会会長で、関西学院大学の室崎益輝(むろさき よしてる)教授も同行している。
震災前、立浜では46世帯の住民が生活していた。中心はホタテ養殖。半島の反対側にある船越はカキ、その隣の名振は定置網漁が主力だ。三陸の漁村は浜ごとに個性がある。
あの日、立浜地区を15メートルを越す津波が襲った。津波から無傷だったのは地区の一番奥にある1戸だけ。3分の2の家が流され、残った家も一階が津波に洗われた。住民8人が亡くなった。
漁港の岸壁は地盤沈下で今も満潮になると波に洗われる。震災後地区内に残ったのは、近くの仮設住宅に入居できた人と修復した家に住み続けることができた人々だけだった。
半数以上の住民は地区外に移り住んだ。仮設住宅の用地が地区内には充分確保できなかったためである。
地域のコミュニテイは崩壊の危機にあった。住民たちで作る「立浜協和会」も一時、解散を考えたという。
被災住民と神戸まちづくり研究所のメンバーは、修復なった末永千一郎さん(62)の自宅で意見を交換した。協和会の副会長である。
写真は左が協和会会長の末永勝紀(かつのり)さん(74)、右が千一郎さんである。親戚ではないが、全員、身内みたいなものだと笑う。
研究所のメンバーは昨日、地域外から集まった人も含め10人余りの住民から話しを聞いた。震災後、一同に会して地域の将来像について語りあったのは初めてだった。
住民たちは石巻市の担当者とも話しあって、地区内の高台に集団移転の候補地を早々と決めた。しかし、家が流されずに残った住民の多くはは、今までの土地に住み続けることを希望している。一方、高台に移転するにしても海沿いにはホタテを保管・処理する作業小屋が欠かせない。
住民の意向が分かれているのに加え、移転した跡地の利用などの青写真も描けていなかった。住民の間には、意見を交わすのさえ避けようとする空気があった。
本音を語りあうことで、こうしたモヤモヤが晴れたと末永会長は話す。今は地域外で生活している人からも、地域が再生したら将来は故郷、立浜へ帰ってきたいという声が出たという。嬉しかったと話す。
千一郎副会長も、住民同士で議論重ねることをしてこなかった。地域の再生の主体はやはり私たち住民だということを痛感した。こう話した。
写真は神戸まちづkり研究所のメンバー。中央が室崎教授。
室崎教授はこう話した。神戸でも復興にあたって、住民たちは当初はけんか腰だった。移転を希望する人、現地再建を希望する人、どちらかが正しいという訳ではない。100%ではないにせよ、双方が理解し合い、満足できる答えを求める必要がある。
そのためには住民の熟議が欠かせない。
住民組織の中に「立浜協和会復興部会」を作ることで合意した。神戸まちづくり研究所がアドバイザーとしてサポートする。熟議の上、一致した住民の意向を行政に要望していく。第一回の部会は来月6日に開催する。
まだ波に洗われる岸壁。震災の傷跡が残る漁港に、春の柔らかい日差しが注いでいた。
先月(3月)からワカメの収穫が始まった。津波が海底のヘドロを洗い流したせいか、品質は驚くほどいい。生育も早いという。
主力のホタテの出荷は7月から始まる。これが楽しみです。二人の末永さんは海に眼をやった。(了)
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