4月10日 宮城県女川町  街の再生一歩ずつ しかし、いまだ残る生々しい震災の傷跡

画像

女川町に足を運んだ。1月中旬以来3か月ぶりとなる。中心部に足を踏み入れると、ぽっかりと広い空き地が目立つ。以前は瓦礫の原と表現してよかった風景が一変していた。
時折雪が舞い落ちる灰色の空が、明るい陽光が降り注ぐ季節に移ったことが、こうも印象を変えたのだろうか。
いやそうではない。津波に直撃された姿をさらしていた、公共の建物の多くがすでに取り壊されていた。
次の写真は1月に撮影したもの。左が町役場、右は女川町生涯教育センター。あの日、センターには住民らが避難してきた。職員を含め28人が最上階、5階のボイラー室に逃げ込み重油まみれになりながらも助かった。
3階建の役場は最上階の天井まで津波に呑まれた。屋上に逃れた70人余が助かった。
生涯教育センターは2月中旬から解体作業が始まった。もはや、看板のプレートを残すだけだった。役場のすぐ目の前にあった公民館も取り壊しが終わっていた。
役場も明日(4月11日)から解体工事が始まるという。
画像
画像
画像
画像

町の観光スポットだった、漁業のミニ博物館も備えた「マリンパル女川」の取り壊しも始まっていた。
思い出のこもった建物が姿を消していくのはさびしいと住民の一人は言う。
しかし、女川町では復興計画を少しでも早くと、事業を進めている。住民が前を向く意欲を持つためにも、新しい町の姿を実際に見える形にしたい。女川町の担当者はこう話す。
津波で被害を大きな受けた中心部のこの地区は、観光エリア、商業エリアに生まれ変わる予定だ。地区内を通る国道398号線は5メートル程度かさ上げして、津波への防護線にする。エリア内は全体に地盤をかさ上げして、新市街地にする。
こうした事業を早く進めるため、不要になってしまった建物は撤去を急がなければならない。担当者はこう強調した。

確かに、他の自治体に比べ女川町では復興事業が早く進んでいるように見える。この点について担当者はこう説明する。この町では公共の建物や商店などが、狭い地域に密集して立地していた。被害を受けた面積もそれだけ狭いことも、事業を早く進められる要因のひとつだ。
しかし、このことは同時に住民の集団移転を検討するにしても、まとまった広い用地の確保が難しいことも物語る。
町では、住民に対して全体の土地利用構想を明らかにし、集団移転が必要な区域の指定も行った。
半島部に点在する14か所の漁業集落については、住民との合意がまとまりつつある。元の計画案を修正して、移転先を元の集落に比較的に近い場所へ変更したためである。
しかし、町の中心部では住民との話し合いが決着していない地区がまだ多い。用地難からこれまで住んでいた場所から離れた所に移転せざるをえないためである。
画像
画像
画像

撤去のめどが立たない建物もあった。七十七銀行女川支店である。海岸から100メートルの地に建つ。震災当時、支店で働いていた13人の行員たちは、支店長の指示で2階建の建物の屋上に避難した。20メートル近い津波は建物をすっぽり呑み込んだ。
海上を漂流して助かった一人を除いて、4人が死亡、8人の行方はいまだ分からない。
女川町は建物の撤去そ要請した。しかし、遺族が銀行側の対応の検証に必要だとして反対。建物は撤去するか否か宙に浮いたままだ。
すぐ近くにあった仙台銀行、石巻信用金庫の支店では全員が高台へ避難し無事だった。なぜ、私たちの家族だけが? 遺族の疑問と苦しみは尽きない。ビルの前には花が供えられていた。

鉄筋コンクリート、3階の建物。女川港近くには、3棟のビルが横転したまま無残な姿をさらしている。津波の威力がいかにすさまじかったかを示す、学術的な資料だと指摘される。
上の写真は健康食品販売会社のビル。横転したビルの一階には車が流れ込んだままだ。
女川町ではこの3つのビルを”災害モニュメント”として保存を検討している。住民の受け止めは複雑だ。
いつまでたってもあの恐ろしい記憶がよみがえる。前へ向く気力をそぐ。こうした声がある。そのままの場所で保存するのであれば、復興事業にも差し支えるという声もある。
今年度中には結論を出したいという。
画像
画像
画像

コンテナが並んだ商店街が、木造のミニアーケード商店街に生まれ変わっていた。
木造のデッキを作り、屋根をかけた。費用は商工会を通じて町が補助。工事はNPO・ピースボートのボランテイアの方々が無料奉仕で引き受けた。先月(3月)末に完成した。
冬寒く、夏暑いという悩みはこれで解消した。でも、コンテナ商店街の名称は変えないという。会長で果物屋の相原義勝さん(63)「これで5~6年は頑張れる」と笑いながら話した。

震災前、人口1万人だった女川町。震災でおよそ1000人が犠牲になった。住民台帳では現在8400人。しかし、実際には町外に移住した住民が多い。実際には6000人ではと町の担当者は話す。
しかし、女川港に入港する漁船も、3か月前に比べると格段に増えた。
決して早いとはいえないが、町の再生は一歩ずつ進む。この歩みが住民を呼び戻して欲しい。人々の苦闘は続く。
(了)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック