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zoom RSS 7月1日 仙台市蒲生 日本一低い山・日和山の山開き 防潮堤できたらどうする?

<<   作成日時 : 2017/07/03 10:43   >>

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蒲生干潟を見渡す海岸べりにある日和山は標高3,0メートル。国土地理院から「日本一低い山」と認定されている。震災後の2014年から、地元の高砂市民センターなどの主催で、日本一高い富士山と同じ日に山開きが再開された。
登山口は、6年前の震災当日多くの住民が逃げ込んで助かった、旧中野小学校の跡地。ここに集合した150人近い参加者は、区画整理の工事用道路を通って日和山に向かった。さすがにハイヒールの人は見かけない。ウオーキングシューズに小さなデイパックが”標準装備”。なかには、登山靴に、山登り用のストックで身を固めた”本格派”もいる。クマ除けの鈴をチリン・チリンと響かせながら歩く参加者も。

”七合目”にあるのが高砂神社。ここで安全祈願のお祓いを受けた。
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小野修宮司が登山の安全を祈願する祝詞を奏上し、地元の旧地権者代表らが玉ぐしを捧げて安全を祈った。
高砂神社は江戸期に、貞山堀掘削のため兵庫・高砂地方から呼び寄せられた工人集団が創建したと伝えられる。昭和40年代の仙台新港開発で今の場所に移転したが、震災で社殿は流された。兵庫の高砂神社の支援で小さな仮社殿が建てられたが、これも仙台市がすすめる区画整理事業で近くふたたび別の場所に移転を余儀なくされる。
漂流を続ける高砂神社は、巨大防潮堤の建設や、工場誘致のために続けられる区画整理事業で揺れる蒲生地区を象徴しているかのようだ。

いつもは、工事用のダンプカーが行きかう道路だが、工事を担当するJV企業にお願いして工事を休んでもらった。この日限りの”登山路”である。
前方には緑一色の大型ダンプカーが10数台並んでいた。「何かの戦争映画で戦車が突撃に備えて並んでいる場面があった」。異様な光景のなかを登山者たちは山へ向かった。


震災前の日和山は標高6,05メートル、蒲生地区のランドマークだった。
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写真上;1994年(平成6)当時の日和山。
日和山は日本一低い山として、住民たちが毎年山開きを行っていた。ところが、大阪に標高4,5メートルの天保山が出現。いったん日本一の座を奪われたが、6年前の震災の大津波が日和山を削った。ふたたび日本一の座に帰り咲いた。
参加者は思い思いの足取りで登山路をたどり、3メートルの頂上をきわめて「万歳」の声を上げた。愛犬に引かれて登頂した人もいる。
130人が高砂市民センター発行の「登頂証明書」を受け取った。スタッフなどを含めると参加者は150人余。第一回の2014年の50人に比べると実に3倍増だ。
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日和山の前には、利府町在住の佐竹真紀子さんのアート作品「フェイクバス停」があった。佐竹さんは震災前の暮らしの記憶を呼び覚ますアート作品を、あちこちの被災地に仕掛けている。

蒲生海岸には高さ7,2メートルのコンクリート防潮堤が建設される。当初、日和山は防潮堤の敷地となり姿を消すことになっていたが、防潮堤のルートから外れ残ることになった。蒲生干潟の生態系への影響を心配する環境保護団体や研究者の意見で、宮城県が防潮堤の位置を内陸側に10〜40メートルずらした(=セットバック)したためだ。
計画通りだと、7,2メートルの防潮堤の外側に、標高3メートルの日和山がひっそりと立つことになる。
山開きを主宰したスタッフの中にも、「コンクリートの防潮堤を乗り越えてになるのか、防潮堤ができた後の山開きがどうなるのか想像もつかない」。こう頭を抱える。

山開き再開して4年、「気軽に行ける場所」と市民の間に定着しつつある想いを、防潮堤が阻むのだろうか。(了)


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