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zoom RSS 6月11日 仙台市新浜  貞山運河に渡し船 ”浜ににぎわいを!”

<<   作成日時 : 2017/06/12 12:29   >>

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仙台市宮城野区新浜地区。貞山運河=新堀に全長5メートルほどの渡し船が浮かんだ。「渡し船とフットパス(小道、散策路)」というイベントの一こま。地元の町内会と民間団体、貞山運河研究所が主催した。渡し船は地元町内会の顧問、瀬戸勲さん所有の漁船「はるか丸」を転用した。両岸に張り渡したロープをたぐって、対岸に渡す。
ライフジャケットを着た参加者が5人ずつ乗船。船頭さんがロープをたぐり、浜側に渡った。乗っている人がちょっと重心を動かすと、渡し船は結構横揺れする。干潮時だったが、水深は2メートルを越える。「キャーッ」と声が上がる。

ライフジャケットの数に限りがあるため、次の乗船者のためにジャケットを折り返しで戻す。この作業に結構手間取り、一往復に5分程度要する。60人余りの参加者を渡し終えるのに1時間ほどかかった。

震災前この場所にはモーテルがあり、業者が作った私設のコンクリートの橋がかかっていた。津波で橋は壊れ撤去され、新浜地区から海岸へ渡る手段がなくなった。
橋がかかる前、昭和30年代後半までは住民たちは「馬船(うまぶね)」と呼ばれる箱型の船で浜と行き来していたという。渡し船はかつての「馬船」にならった。

浜側に渡ると、間もなく「八大龍王」の石碑があった。
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海上の安全と豊漁を願って明治初年に建立された。高さ2メートルほどの石碑は津波に耐えて残った。近くに番屋もあったという。浜では
かつてはヒラメやイワシなどの地曳網漁が行われていた。江戸期からおよそ400年の歴史をもつ新浜は、ながらく農業と漁業を生業としていた。
さらに浜側には「愛林碑(あいりんひ)」が残っていた。田畑を飛砂や潮風から守るための海岸林造成が完成したのを記念して、昭和28年に建てられた。津波で10メートルほど流され、倒れていたのを住民たちが建て直した。
11月から12月にかけて行われる松葉拾いは「こぼれさらい」と呼ばれ、地区の一大行事だったという。世帯ごとに持ち場を決めて、松葉や枯れ枝を集める。「馬船」で持ち帰り、各家庭の燃料となった。

ガイド役の瀬戸勲さんはこう強調した。
「大津波に耐えて残ったこれらの石碑や、ハマヒルガオ、ハマエンドウなどの多様な植物は地域の宝だ。素晴らしいふるさとと、先人の想いを未来に引き継いでいきたい」。

震災後荒浜や、北蒲生など周辺の地区が災害危険区域に指定され人が住めなくなったため、新浜地区は仙台平野では浜にもっとも近い集落の一つとなった。
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町内会が作成したパンフレットが「ふるさと新浜マップ」。寺社や石碑、動植物の観察ゾーンなど地域の宝を巡るフットパス(散策路)が、分かりやすく描かれている。
震災前150世帯を数えた住民は、戻ってきたのは70世帯に留まる。特に、若い世代が子どもの通学などに便利は内陸部に移り住んだ。
しかし、住民たちは研究者をアドバイザーにワークショップを開いてきた。「ニュービーチプラン」というまちづくり構想まとめ、海辺の暮らしの再生を打ち出した。さらに、まち歩きや自然観察会などを重ねた成果が「ふるさと新浜マップ」だ。
新浜町内会の平山新悦会長はこう強調する。
「浜ににぎわいを取り戻すことで、今はふるさとを離れた若い世代が戻るきっかけになればと思う。貞山運河には
仮称・新浜橋をかけるよう行政側に申し入れており、来年度にはとりあえず木製の橋ができるのではと期待している」。
ふるさとを誇りとする想いが、新浜の人々の背を押す。(了)





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