震災日誌 in 仙台  

アクセスカウンタ

zoom RSS 6月3日 Intermezzo 森まゆみ「暗い時代の人々」 現代に生きる私たちの覚悟を問う

<<   作成日時 : 2017/06/03 14:17   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
何しろ、「教育勅語にもいいところがある」という言説が政治の場で平然と横行する時代である。言うまでもなく、”一朝ことがあれば天皇に一身を捧げよ”ということを国民=臣民に教え込むのが本旨である。安保法制や特定秘密保護法の強行成立。さらに、政権は共謀罪法の強行採決を目論んでいる。
危うさに満ちたこの時代を生きる私たちの覚悟を問う書に出会った。森まゆみさんの新著「暗い時代の人々」(亜紀書房、2017年5月9日)である。

あとがきで森さんはこう記す。
「再び同じ道(自由を圧殺し、1945年この国を破局に追いやった)に迷い込まないように、わたしはあの大正デモクラシーから昭和の戦前・戦中をぶれなく生き抜いた人々について書いてみたいと思った」。
”昭和の”とあえて書いたところに大きな意味があるのだと思う。
取り上げたのは九人。反軍演説の斎藤隆夫、山川菊栄、山本宣治、竹久夢二、九津見房子、斎藤雷太郎と立野正一、古在由重、それに西村伊作である。
数十万人が逮捕されたという治安維持法・特高警察が猛威を振るい、戦争、そして破局へとひた走ったあの時代。自由に考えることすら許されなかった時代に、自らの思うところを曲げず生き抜いた人々である。多くの人が投獄され、自説を曲げなかったがゆえに凶刃に倒れた人も。山宣こと、山本宣治がその人である。

評伝の名手と言われる森さん.いずれも文献を読みこなすだけでなく、関係者の聞き書きをもとに九人の短かったり、長かったりの人生を生き生きと描きだす。事績は細かに書かれているものの、人間味が伝わってこない通り一篇の評伝と違い、それぞれの人物の息遣いがどのページにも感じられる。

例えば、社会主義的な視点で婦人解放運動を繰り広げた、山川菊栄。プロレタリア運動のリーダー、山川均の夫人でもあった。
「『青鞜』の主宰者・平塚らいてうが心中未遂事件で世を騒がし〜〜華やかな活躍をしたのと比べ、菊栄はやや地味である。」
伊藤野枝などに対するするどい論破が、やや下に見るように思えて、「(菊栄を)若い時にはそう好きになれなかった」。こう書いたうえで続ける。
「平塚らいてうがその後、母性保護から国家主義になだれ、市川房枝ら婦人運動の指導者たちが進んで戦争協力をしていく中、どうして山川菊栄がそれをしないですんだのか、興味がわいた」。

らいてうとのエピソードが興味深い。
らいてうは自伝「元始、女性は太陽だった」でこう書く。『青黄色く沈んだいかにも不健康な寒ざむとした顔色、〜〜山川さんからは、若さとか、娘らしさといものがみじんも感じられず、自分と同じ年ごろとばかり思っていました』。
森さんの人物評は率直だ。
「実際は菊栄の方が四歳年下だ。よく書くよなあ。らいてうらしい歯に衣着せぬ証言である」。


九人のうち、これまで知らなかった一人が九津見房子だ。後に社会主義活動家の三田村三四郎と結婚。ともに産児制限運動や労働運動で活躍した。1928年(昭和3)に起きた共産主義者などを弾圧した3・15事件で逮捕され、治安維持法による女性逮捕者第一号となった。

ゾルゲ事件にも連座し逮捕されたが、戦後に生き延び1980年、89歳で没。夫、三田村はその後転向し、組合運動を分裂させる側に回ったが、房子は戦後はなにも語らず、印刷屋を経営して生活を支えた。あの暗い時代、筋を曲げることになった人物も多かった。そうした人々を突き放すことはしない、森さんの筆はあくまでも暖かい。

房子は関東大震災のさなか虐殺された大杉栄や伊藤野枝とも親交があった。大杉の労働運動社で働いていた当時のエピソードも面白い。
「大杉さんがわたしのことを『おばさん』というから、『それなら、あんたはおじさんでしょう』と言ったという」。

30年も前、福岡勤務時代のことだ。伊藤野枝の(ということは大杉のでもある?)遺児・伊藤るいさんと酒席をともにすることがあった。記者仲間と一緒だった。何を話したかははっきりしないが、るいさんの話しぶりは火がでるほど情熱的だった。

実は、森まゆみさんには私も執筆陣の一人である、フリーペーパー「HOTORI」に毎回原稿を書いてもらっている。東日本大震災の被災地の住民グループ支援の冊子である。最新の第8号(2017年3月発行)には、森さんは「インド・プーリーの海辺」と題した1ページを寄稿してくれた。
画像
森まゆみさんはかつて宮城県最南端・丸森町の貸し農園に時折住んでいた。その縁で被災地取材で来訪した際出会った。それ以来、毎回ほとんどボランテイアで原稿をいただいている。

森さんは地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(通称「谷・根・千(やねせん)」の発行でも知られる。暗い時代の京都で
喫茶店「フランソア」を拠点に、文化新聞「土曜日」を発行したた斎藤雷太郎と立野正一の評伝の中で、地域紙の要諦をこう書いている。
「わたしたちは、少数の送り手のメッセージが、メデイアという巨大な乗り物を通じて、多数の受け手に発せられる寡占化された新聞やテレビに食傷していた。〜〜送り手が受け手でもあり、受け手が送り手にもなれる相互交流の水平的なコミュニケーションを作りだしたかった」。
財政的な問題もあるが、私たちは「HOTORI」を出し続けるつもりだ。森さんのメッセージを私たちの心心構えとしたい。

暗い時代に生きた九人の生きざまは、どれもが危うい現代を生きようとする私たちの覚悟を問うものだった。

森まゆみさんはあとがきをこう結ぶ。
「この前の戦争の時、わたしはまだ生まれていなかった。でもこの次の戦争が万一起こる時は、わたしは責任があると思うから。」
前に引用したあとがきの一部で、森さんがあえて”昭和の”と書いたのはこの覚悟の伏線だった。(了)

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
6月3日 Intermezzo 森まゆみ「暗い時代の人々」 現代に生きる私たちの覚悟を問う 震災日誌 in 仙台  /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる